あの日に戻れたら。迷わずあの場所に戻りたい。
わたしのシェルターのように居心地の良かった場所に戻りたい。

高校時代に見つけた居心地の良い和菓子屋さんに、わたしは戻りたい

自宅の2駅隣に、少し栄えた賑やかな駅がある。
日が暮れる頃になれば怖い雰囲気になるものの、日中はどんなお店でもあるような楽しい駅。

高校時代にそこで見つけた和菓子屋さんが好きだ。
おまんじゅうやお餅だけでではなく、上生菓子まで売っている。あの、お抹茶と一緒にいただくような、あれだ。
わたしはお抹茶の趣味はないけれど、点てられたら素敵だろうと思うし、上生菓子は自分で淹れた煎茶といただくのがこの上なくすき。しかもこちらのお菓子はどれも本格、そして破格の値段。
そんなお気に入りの和菓子屋さんが、そのすぐ近所に茶房を作った。
この場所に、わたしは戻りたい。

2019年の終わりより、新型の感染症が流行した。
それ以前は月に1、2度も行っていたような、たった2駅隣のその駅をわたしは避けるようになった。

無駄に電車に乗ることない。
人混みに自分から飛び込むことない。
そう思って、いつかいつか、とそのいつかを心待ちにしていた。
せめてその近くを通り過ぎる用事でもあればその時は自分に、お気に入りの茶房でくつろぐ時間をプレゼントしてあげようと思っていた。

シャッターの張り紙に書かれた「閉店」の文字。出遅れてしまった私

半月ほど前に、その「いつか」がやってきた。
迷うことなく駅から少し細い道に入って、わたしはお気に入りの茶房を目指す。

閉店しました。
ご愛顧ありがとうございました。

シャッターの上に張り紙がしてあった。
入り口に赤い暖簾のかかったお店。
テーブルセットが和風なお店。
おにぎりとお味噌汁のランチが人気なお店。
店員の若い女の子たちが落ち着いた赤のエプロンに白い三角巾をしているお店。
わたし史上最高に美味しかった、白玉クリームあんみつのお店。

そんなお気に入りのお店の目の前に立っているのに、中に入ることができなかった。
コロナ閉店。よく聞くようになった言葉だ。
これは、いつの話だったのだろう。
これは、いつの張り紙だろう。
わたしは一体、どのくらい出遅れてしまったのだろう。

「いつか…」と思ってきた中の1日に、戻ることはできないだろうか

そんなことすら知ることができない。
本当に本当にすきだった。コロナなんか気にせずに毎日でも通えば良かった。こんなことになるなら、いつか、なんて思わなければ良かった。どうして、どうして、と自分の中の自分が攻め立てる。

いつか、と何度も思ってきた。
その中の1日、どれでもいい。どれでもいいからその日に戻りたい。
そしてあの落ち着いたテーブルと椅子にかけて、あんみつを食べる。サービスで出てくる熱いほうじ茶を飲みながら。
そんな簡単なことをしに時間を戻したい。

だってわたしは、あんみつばかり気に入っていただいてしまって、他のメニューの味を知らない。
お抹茶ラテのページ、いつも気になっていたのに。
大人気のおにぎりのセットだって、いただいたことがない。美味しいらしい、の噂に満足していただけの自分に今更気がつく。
やり残したことがあのシャッターの中にたくさんあったようだ。

私が行けば、あのお店は美味しいあんみつを作ってくれると思っていた

いつでも食べられると思っていた自分の傲慢さをとても反省している。
わたしさえ行けば、あのお店は美味しいあんみつを作ってくれるものだと無意識に思ってしまっていた。そのことを深く深く反省している。悔いている。
このご時世いろいろなことがうまくいかなくなってしまった。

どうしてこんな大変な時代を自分が生きているのかと、とても損した気分になることがたまにある。お店の人もきっと、閉業なんてしたくなかっただろう。
働いていた女の子たちはどこへ行ったのだろう。
新しいバイトにはもう馴染めているだろうか。
わたしがもし毎日あんみつを食べにきていたら、この2年近くのわたしのあんみつ代は赤字を黒字にしてくれただろうか。

わたしがもし大金持ちだったらこの茶房を助けてあげられただろうか。
有り得ないながら、そんなことばかり考えてしまう。

誰か、そのことに気がついて、あのシャッターを開けてくれないだろうか。
ものすごい特別な力のある人が、時間を戻してくれないだろうか。
わたしはあの場所に戻りたい。
新型ウイルスから、わたしたちの元の日常を取り戻したい。
それは傲慢なことだろうか。