まあるいお好み焼きを全部1人で食べて良いなんて、なんという贅沢なのだろう。4人掛けの席で1人、鉄板の上に1枚、大きなお好み焼きから流れ出たソースがジュージュー言っている。
もくもくとお好み焼きから立ち上る湯気と、ソースの甘ったるく湿った匂いが黒いスーツに染み付きそうだったが、どうでもよかった。お好み焼きを1口サイズに切って、フーフーしながら口に入れた。
大阪まで面接に来た私。いつもの「学チカ」をすらすらと答えた
「……意外と普通の味なのね」
大阪といえばお好み焼き、という安直な考えのもと適当に入ったお好み焼き屋さんの味は、普段関東に住む私の家の味とそこまで変わらなかった。
モソモソと食いながら、さっき終わった面接の、ちょっと偉そうな面接官のシケた顔を思い出した。
コロナ禍になる1年前、東京オリンピック・パラリンピックは必ず2020年にやると誰もが思っていた2019年、就職活動が売り手市場と言われていたあの頃、私は東京から大阪にわざわざ面接に来て惨敗した。
「学生時代に力を入れていたことは何ですか?」
面接ではお決まりの「学チカ」。エントリーシートにも飽きるほど書き、面接でも嫌というほど聞かれた。決まりきった質問に、私はまるで何回も音読して暗記した国語の文章のように、いつも面接で言っていることを答えた。
それは、大学3年生の時に少しの間だけ海外でインターンをした時のエピソードで、他の就活生とも被りにくい、伝家の宝刀だった。
面接からとぼとぼ帰っている途中で、入ったお好み焼き屋さん
隣の就活生の女の子にターンが回って安堵した数秒後、女の子の言葉に度肝を抜かれた。
何と、その子も同じ国にインターンをしに行ったと言うではないか。しかも、私よりも長く!
「私は、~と考えて……をしました!」
明るく覇気があり、自信を持って答える彼女。私の、聞こえだけは良い薄っぺらいエピソードを盛りに盛っても、彼女のひと言には敵わないと思った。
どんどん自分の心が冷めていくのを感じた。面接官は、私のことをほとんど見なくなった。
「ああ、もう終わりだ」
とぼとぼと「御社」の最寄り駅に帰る途中、心も腹も空かせた私が、偶然見つけたお好み焼き屋さんに入ってしまったのは、必然だった。
面接でうまく行かなかった時にたまたまご飯屋さんに入ったら、普通、美味しくて涙が出たりするんじゃないか?
私は、残り4分の1になったお好み焼きに問いたくなった。と同時に、なんで私はこんな所にいるんだろう、と自分に問うた。
そもそも、なんで大阪まで「御社」のために2回も来たんだろう?
面接も良い雰囲気で、面接が終わってから2時間もしないうちに合格のメールが来た1次面接の時には、考えもしなかったことだ。あの時はたこ焼きを食べていて、またここに来られる嬉しさを噛みしめていたほどだ。
「もうここには来ないよ」。自分のやりたいことすらわかっていないと気づいた
そもそも、なんで志望したんだろう?ノリと勢いで応募して、たいして行きたいと思っていないのに、それっぽい志望動機を並べて、1次面接はそれでも通ってしまった。
だが、粒が揃ってきた2次面接で、言葉を換えればどこでも出せそうな志望動機と、薄っぺらい学チカしか持っていない私は、見事に玉砕したというわけだ。
落ちたから、美味しく感じられないのだろうか。
「それは、もう君がここには来ないからだよ」
お好み焼きが言った、気がした。もう「私はここには来ない」。確かにそうだ。
私はもうここに来てはいけない。安易に、自分がしたいこともわからないのに、どこにでも通用するような志望動機と、中身がないと自分でもわかっている学チカを言っていてはいけない。
たいして頑張りもしないのに、美味しく感じてはいけない。大阪でお好み焼きを食べたこの日のことを、美化してはいけないのだ。
「さようなら、もうここには来ないよ」
明日からまた、学チカを練り直さなくては。完食して、帰路に着いた。