今年7月、休職した。期間は1か月。限界だった。仕事が嫌いなわけではない。むしろ、やりがいある大好きな内容ばかり。だけど、働けど働けど終わりの見えない目まぐるしい日々が続きすぎていた。

人間にもどれた気がしたとき、ずっとやりたかった旅に出ることにした

眠れない、やっと眠れたと思っても眠り続けられない毎日が当たり前になっていた。休職10日目にとうとう6時間以上ノンストップで眠ることに成功し、朝起きた時に少し泣いた。やっと人間にもどれた気がした。
そこからは焦らず、だけど自分が「やりたい」と思ったことになるべく多く挑戦することを決めた。だから、旅に出ることにした。

毎年初めに、なんとなくその年にやりたいことを考える。そこに殿堂入りしつつも、一度も成しえていなかったのが「一人旅」。時間に余裕のある今しかない!と富山県を一人で訪れた。
旅の最終日、滞在のほとんどを富山市内で過ごしたわたしは、もう少し別の富山の顔を知りたくて、黒部方面への玄関口「宇奈月温泉」へ寄り道してから東京に帰ることにした。

トロッコ列車、風光明媚な景色、温泉……と盛りだくさんな一日。明るいので気づかなかったけれど、もう18時が目前だった。朝ごはんを9時半頃に食べてから夢中で電車を乗り継ぎ、観光していたのでわたしのおなかはぺこぺこだった。
旅の最後の食事に、宇奈月温泉の小さなお弁当屋さんで名水ポークの角煮弁当(小)を買った。駅のロータリーにベンチがあったことを思い出して、新幹線までの待ち時間に食べようと思って。

青空の下、人間味あるお弁当を食べていたら、急に涙が込み上げてくる

おばちゃんが笑顔で差し出してくれた5円するビニール袋に入っていたのは、何の変哲もない小ぶりなお弁当だった。美味しいけど、見た目だってこだわってないし、容器もふつうのだし、角煮も冷めたらトロトロじゃなかった。でも、すごく心が満たされた。
新幹線の駅の何もないロータリーのベンチで、タクシー数台に見守られながらお弁当を食べていたら、急に涙が込み上げてきた。

何もかもが飽和している時代に、空腹の状態で人に作ってもらったものを綺麗な空の下で食べていることに感動したのかもしれないけれど、正直言って未だにどうして泣いたのか理由はわかっていない。タクシーの運転手さんたちは、さぞ気味悪かっただろうな。
レストランもコンビニもスーパーのお惣菜も冷凍食品も美味しくて手軽で安心できるけれど、作り手のさじ加減で出来ている人間味のある食事ってすごく貴重になってしまった。そのお弁当からはいろいろな匙加減の妙のようなものを感じた。おばちゃんの笑顔、空腹、青い空、タイミング……すべてがカチッとはまってわたしの心とおなかを優しく温めてくれた。わたしが求めていた人間味って、そういうことなのかもしれない。

人目も気にせず、ひとりでお弁当を頬張ったのは生まれて初めてかも

反省した。最近のわたしは食べることに無頓着になっていたんだ。思えば、青空の下で人目も気にせず、ひとりでお弁当を頬張ったのなんて生まれて初めてかもしれない。

休職期間は明け、相変わらず慌ただしく働いている。たまには暗い気持ちに飲み込まれそうなときもある。だけどあの人間味たっぷりのお弁当の記憶が、わたしを守ってくれている。
「いただきます」と「ごちそうさま」を丁寧に言えるようになった。
深く呼吸ができるようになった。
自分をいたわってあげられるようになってきた。

また、あのお弁当を食べにいきたいな。