大学2年の秋頃、精神を患った。わたしらしくない、と思い、周りには言えなかった。みんなの中にあるわたしのイメージを、壊したくなかった。みんなが、離れていっていまいそうで。
そんなとき、ふとしたきっかけで見つけたのが、SNSの精神疾患界隈だった。
お互いが「タイミングの大事さ」を知っている環境が心地よかった
わたしが精神疾患なんて有り得ない。こんなことでしんどいなんて、ダサい。世の中にはもっとしんどい思いをしてる人が……なんて考え方は、そこにはなかった。
環境も症状も診断名もみんなバラバラなのに、みんなが弱音を吐き、みんなが肯定する。メッセージのやりとりは各々が心に余裕がある時に返すから、1回の会話のキャッチボールに平気で1、2ヶ月かかる。それがまた、心地よかった。
弱音を吐くと、そのとき少し余裕のある人がメッセージをくれる。逆に自分に余裕があるタイミングで弱音を見つければ、メッセージを送る。余裕がなかったら、申し訳ないけど見て見ぬふり。でも、お互いにその「タイミングの大事さ」を知っている。
いつも通り、死にたいと呟いた。誰一人として「死なないで」と言わないでくれた。
死にたいほどの地獄を生きていることを、みんな知っている。みんなもそれぞれが同じような、死にたいほどの地獄を生きている。勇気が出たら落ちてしまえるような、ギリギリのところを生きている。だから、安易に「死なないで」とは、誰も言わない。
初めて出会った「一緒に生きていきましょう」の言葉は優しく温かい
もちろん、わたしも言えなかった。そこで出会った人みんなのおかけで生きているからこそ、死にたいほどの地獄でこれからも生き続けてほしいなんて、そんな勝手で無責任な、他人の願望を伝えることはできなかった。
そこで初めて出会った言葉は「一緒に生きていきましょう」。
死にたい気持ちを否定するわけでもなく、生きてほしいと無責任に願うわけでもない言葉。互いが別々の、しかし同じような地獄を生きているからこそ紡がれたこの言葉は、文字通り優しく温かかった。
名前も、顔も、住んでいる場所も知らない。普段は、こんな地獄を生きるのは世界でわたしだけなんじゃないかと思うけど、この界隈にはたくさんいる。みんながそれぞれの、同じような地獄を生きている。だから、この地獄を一緒に生きよう、と。寛解なんて見えなくても、ひとりで生きるよりずっといい。
今、地獄を生きる誰かの少しの希望になりたい。そして伝えるあの言葉
3年ほど地獄を生きた後、断薬に成功し、寛解した。精神疾患界隈には今でも地獄を生きている人がたくさんいて、わたしはそこで発信する。自分が生きた地獄と、寛解までの道を。でも、「絶対に立ち直れる」なんて無責任なことは言えない。地獄にいた頃の自分がそれを聞いても、嘘だとしか思えなかったから。ただ、このわたしの発信が、今地獄を生きる誰かの、ほんの少しの希望になればと思うだけ。
最後に。当時いつも通り「死にたい」と呟いたわたしに「一緒に生きていきましょう」とメッセージをくれたあの人へ。
今は、どこを生きていますか。まだ、地獄を生きていますか。あなたを始めとしたこの界隈のみんなのおかげで、わたしは、あの頃の地獄をこうして綴れるようになりました。
もしあなたが今も変わらず地獄を生きているなら、生意気かもしれませんが、この場を借りてメッセージを送らせてください。一緒に、生きていきましょう。