小学生の頃の将来の夢は音大生。中学生の頃の将来の夢も音大生。高校生の頃の将来の夢も、もちろん音大生。
青春の全てを音楽に捧げ、憧れだった音楽大学は3年半で自主退学した。
一睡もできなくなり、心療内科で告げられたのは「精神疾患」
「精神疾患」。わたしはそれを甘えだと思っていたし、両親からもそう教わったと思う。
精神疾患にはいろんな病名があるけど、病名をつければ精神科医が儲かるし、薬を処方すれば薬剤師も儲かる。そして病名をつけられた患者は、病気のせいにできる。だから、病名をつけるんだよ、と。その固定概念が苦しめたのは、精神を患った自分自身だった。
だんだん睡眠がとれなくなる自分。大学2年生の夏が過ぎた頃、ついに一睡もできなくなった。友人に促されて訪れた心療内科で告げられた、精神疾患。
わたしは精神を患うような弱い人間じゃないと、処方薬はその日に捨てた。しかし不眠が治るはずもなく、後日、睡眠導入剤の服用を始めた。
心は不安定になる一方。そのうち、眠れないのにベッドから起き上がれなくなった。それでも、精神疾患だとは認めなかった。わたしは、そんな弱い人間ではない。
4年の春に復学させてもらった。症状は休学前よりも酷くなってた
大学3年の春、大好きな大学に行けなくなった。前期の単位はほとんど落とし、3年の秋期は休学。精神疾患を甘えだと教えてくれた両親の元で、地獄の半年を過ごした。医者には何度も入院を勧められたけど、拒否し続けた。
理由は1つ、4年の春に復学したいから。なぜ春にこだわったのか。なぜしっかり療養してからじゃだめなのか。そこには、わたしを大事に思ってくれる同期の存在があった。
休学すると決めたとき、「戻ってきてね」と言わないでくれた同期。休学期間を実家で過ごしているわたしに、新幹線で会いにきてくれる同期。誕生日には、先輩方や後輩たちと動画を作って贈ってくれた同期。この大切な同期の最後の1年を、どうしても一緒に過ごしたかった。
そして4年の春。必死に建前を作り復学させてもらった。症状は、休学前よりも酷くなってた。
でも、同期の最後の1年を一緒に頑張りたかった。同期の卒業を、いちばん近くで見送りたかった。
幼い頃からの夢だった音大に通ったのに、あと半年で掴める卒業を諦めた
同期の卒業を見送り、わたしは憧れた音楽大学での生活に幕を下ろす決断をした。当時のわたしに、同期のいない大学での「あと半年」は長かった。
幼い頃からの夢だった音楽大学に通わせてもらっておきながら、あと半年で掴める卒業を諦めた。この事実が、どれだけたくさんの人の期待を裏切ったんだろう。
先生方、先輩方、同期、後輩たち、家族、そしてなにより、音大生を目指していた頃の自分に、申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
精神を患ってから、同じような経験をした人の書籍を読むようになった。多くの人が「精神疾患を患ってよかった」「あの経験があるから」と語っているけど、わたしはそう思えるほど強くはなかった。
地獄のような、あの時間。経験しなくていいなら、したくなかったに決まってる。