LINEとブログ。私が使っているSNSはこれだけだ。いや、正確にはどちらも、SNSとは呼ばないかもしれない。
LINEでは、わざわざ個人的に連絡を取る近い関係の人としか基本的に繋がっていないし、ブログはペンネーム名義で、しかも一方的な自分の発信の場でしかない。
リア充たちと同じ景色が見たくて、SNSに足を踏み入れた
こんな私だが、かつてはFacebookの世界にどっぷりと浸かっていたことがある。高校生の頃、留学先の友人から勧められ、周りからはだいぶ遅れてではあるが、登録したのがきっかけだ。
初めてSNSの世界に足を踏み入れた当時の衝撃は、今でも覚えている。
毎日学校で顔を合わせている人たちの、学校だけではわからない別の顔があり、別の世界がそこには広がっていた。
しかも、ボタンひとつで自分の考え、日常の写真、好きなことを簡単に共有できる。
これは、リアルの世界ではスクールカースト下位層の私にとっては夢のようなツールだ、とすら思った。何しろそこでは、自分をアピールするチャンスが、カースト上位の人たちと同等にあるのだから。
普段積極的に自分をアピールすることがないコミュ障だからと言って、全く気にかけてもらえなくても平気な人間なわけじゃない。あわよくば、リア充たちと少しでも同じ景色が見てみたい。
夢のようなツールを手に入れた私は、ウザくならない程度に、自分に関するポジティブな内容を投稿するようになった。
スクールカースト上位層には、桁違いの数の「いいね」が付く
少なくとも高校生の間は、私はいわゆるSNS依存に近い状態になっていたかもしれない。そしてそれに気付くのに、あまり時間はかからなかった。
始めたての頃は、自分の何気ない投稿に誰かが「いいね」やコメントをしてくれるだけで嬉しかったし、高校の知人から次々と友達リクエストが来るだけで、まるで人気者になったかのような高揚感があった。
でも、楽しいだけの時間はあっけなく終わった。Facebookからの通知が届くと、その確認が最優先。投稿後しばらく経っても「いいね」が全然付かないと、そのことばかりが気になってしまう。そんな自分がだんだん嫌になってくる。それでも通知のチェックや投稿はやめられない。それでさらに苛立ちが増す。
ふと冷静になって”友達”の投稿状況を見てみると、カースト上位層は特に、「まともにログインしているのだろうか?」と当時の私が思うほど、Facebook上はあまり活動的ではないことに気付いた。それでも、たまに何か投稿したときには、私とは桁違いの数の「いいね」やコメントが当たり前のように付いていた。
そこには、”夢のようなツール”だろうと、覆すことのできない現実があることを私は悟った。
リア充っぽさを演出しても、リア充にはなれない悲しい現実
そもそも、本当のリア充というのはSNSのことを基本的に忘れていられるくらい「リアル」が「充実」している人たちなのだ。
SNSがリアルの代替だと勘違いした私が、少し背伸びした内容を投稿し、リア充っぽさを頑張って演出したところで、元々がリア充ではないから、どう足掻いてもリア充にはなれないのだ。
無駄に増やしまくった”友達”と、1つや2つのお情けの「いいね」が付いた自分の数々の投稿を見て、自分が余計に寂しい人間に思えた。
この悲しき現実に気付きながらも、私は大学院修了までFacebookを使い続けた。一度使い始めると、何らかのきっかけがない限りやめることが難しいという心理にさせる点も、SNSというのは本当によくできていると思う。
程よい距離感を保っているつもりでも、誰かの順風満帆な人生の一片をわざわざ見に行っては、勝手に嫉妬心や劣等感を持ってしまう自分は変わらなかった。
思いきってSNSをやめてみたら?本当のリア充になるために
皮肉なことだが、SNSをやめることで、本当の意味での「リア充」になれるのかもしれないな、とSNSと呼べるものを使っていない今、私は思う。
というのも、「リアル」とは何かを突き詰めて考えると、結局は「自分自身」でしかないと思うからだ。つまり、SNSを通して他人と自分を比較しなくなると、自分が本当にすべきこと、したいことに専念するようになるし、そうするしかなくなる。
自分が本当に価値を感じていることは、多数に共有しなくても、「いいね」をもらわなくても、自分に充実感を与えてくれる。誰かの承認を得たいために、捻り出した上辺だけの「充実してる感」とは訳が違う。
だから、SNSに何らかの違和感や疲れを今感じている人がこれを読んでいたら、その感覚を蔑ろにしないでほしい。
「見られたい自分」を取り繕ったところで、あなたの心は満たされているか?そこまでのエネルギーを費やしてまで、今のあなたがやるべきことなのか?
そのような問いへの答えが「NO」ならば、「いつでも戻って来られる」という選択肢は残しつつ、思い切って一旦SNSを休止することを私はおすすめする。
そこにはきっと、本当の意味での「リア充」として見える景色があるだろう。