子どもの頃メロンクリームソーダに憧れていた。緑で透明な液体、氷の上に乗る白いアイスクリーム、赤い缶詰のさくらんぼ。それだけじゃない、メロンクリームソーダを飲む子どもは愛されていると思ったから。
母は日常の楽しみにお金を使わなかった。とても倹約家で、悪く言えばケチで、私は好きなおもちゃとかお菓子を買ってもらった記憶がない。時々、レストランの店頭でメロンクリームソーダの食品サンプルを切なく眺めていた。
浮気相手はバイト先の後輩。彼は私に飽きて、関係は冷えていった
10数年後、世間でもメロンクリームソーダが再燃していた。大学生になった私も、吉祥寺で有名な喫茶店のメロンクリームソーダを飲みに行く機会があった。私はその頃大切な彼氏を裏切って、他の人と関係を持っていた。
彼氏は大学の同級生で、穏やかで真面目な、理想的な恋人だった。彼は部活やバイトで忙しくしていて、寂しさを感じた私はバイト先の後輩と流れるままに浮気していたのだ。
後輩は大学でバスケをやっていて、独特な魅力があり、女慣れしていた。私の会ったことのないタイプだから惹かれたのかもしれない。お互いの家に泊まる関係を続けていたけれど、3ヶ月くらいで終わりが来た。後輩が私に飽きて、そっけなくなっていったのだ。
最後にデートしたとき、井の頭公園の桜は散り始めていた。次の週から、私は海外に留学することになっていた。私たちは公園の近くの例の喫茶店で、メロンクリームソーダと、後輩はコーヒーフロートを注文した。
3か月一緒にいた私たちの間に話題は枯渇していて、話したのは夜に何をするかとか、そんな話ぐらいだったと思う。気まずくて話しかけてみても、会話は続かなかった。
「俺たち、暇してるね」
「……そうだね」
そうだね、以外に何て言えるだろうか。話題がなくてごめん。つまらなくてごめん。
いたたまれない中、アイスクリームとソーダの間の氷が溶け始めていた。アイスが水っぽく、かき氷のようになるのが、私はそんなに好きではなかった。
浮気相手に振られた私は、彼氏のことを大事に思えなくなっていた
後輩が夜、サークルの飲み会に向かうので、私たちは駅の中で別れることになった。去ろうとする後輩を、私は引き止めた。「しばらくは会えなくなるけど、付き合ってくれないかな」。
そう絞り出したけれど、後輩は「え、今このタイミングで?」と心外そうに言った。それはそうだろう、数ヶ月会えなくなるし、何より彼はもう冷めているのだから。
「もう前ほど好きじゃないし……」。そう言われて、もうだめなのだと悟った。
「わかった」と答えつつも、どんどん現実感がなくなっていく。もう電車来るから行かなきゃ、と後輩は言った。留学頑張ってね、とも。頑張ろうと思えるわけがない。
付き合い続けていた同級生の彼氏とは、留学が始まってしばらくして私から別れを切り出した。後輩に振られたことがあまりにも重く、彼氏のことを大事に思えなくなった。
それでも彼は日本で待っていてくれた。帰国して再会し、また付き合って欲しいと言われた。その愛情を切り捨てられなかった。
でも一旦終わった関係を元どおりにするのは難しく、彼氏といると愛情に応えなければいけない重さと罪悪感があった。私は意図的に彼を避け続け、当たり前だが振られた。次の春、卒業式のすぐ後のことだった。
この気持ちの正体は執着。憧れに執着して大切なものを失った私
彼氏との最後のデートは私の地元だった。ラーメンを食べて散歩してから、新しく出来た駅前のカフェに入った。
そのカフェは薄緑色の大きなメロンクリームソーダが看板メニューだった。惹かれたけれど、少し値段が高かったのと後輩に振られたせいなのか、メロンクリームソーダを見ると不吉な予感がするので、注文しなかった。
彼氏は普段こういう場所で必ずココアを頼んでいた。なのによりによって、彼はこの時メロンクリームソーダを選んだ。
3ヶ月くらいずっと言おうと思ってたんだ、と言っていた。確かに、前から彼は私に伝えようとしていた。違和感があった。手をつなごうとして避けられたり、腕を組ませてくれなかったり。それでも、私たちの間に別れという選択肢があることを理解していなかったのだ。
あの後輩とは違い、彼氏とはいつも自然体でいられた。話題がなくてもどちらからともなく話していたし、静かにしていても全然苦じゃなかった。私の不在を待っていてくれた彼の存在は、永遠にあるものだと思ってしまった。
執着。私のメロンクリームソーダへの気持ちは執着だった。母が買ってくれなかったから?違う。与えられている他の子どものように、自分を特別な存在だと思いたかったから。
大人になってしまった今では、それはただの欲だ。私だって愛されていたのに、持っているものに目を向けず、憧れに執着して大切なものをなくした。
今でも喫茶店のメニューでメロンクリームソーダを見るたびに、その甘く夢のような姿とはうらはらの苦い気持ちになる。