私がエッセイを書こうと思ったのは、「小木さんなら、面白いエッセイになると思うなあ」と言ってくれた人がいたからだ。その言葉を聞くまでは、エッセイの面白みも、書き方もさっぱり分からなかった。

私の人生なんかおもしろいのだろうか。そんな疑問が浮かんできた

唯一心に残っているエッセイは、さくらももこ先生のエッセイである。
小さなころの話で、メロンクリームソーダのしゃりしゃりになった部分が、たまらなく魅力的だったという話。きらきらしたクリームソーダと、氷との間にできた部分は、文章や絵で見る以上に、私の中に輝きを残し続けた。

では私が、人の心に輝きを残すようなそんなエッセイを書けるかと言われれば、Noと言ってしまう。素っ頓狂な人生を送っている自覚はあるが、それを文に昇華することができるだろうか。果たして、私の人生なんかおもしろのだろうかと、エッセイをすすめてくる人の言葉を疑った。

もともと私は、小説を書くことが好きだ。心の中にきらきらしたものを入れるコップがあって、それがあふれ出したときに小説が書ける。だから、四季の移ろいや、仕事で感じたこと、もっと言うと居酒屋での他愛のない会話でさえ、きらきらしていると思えば、自分の中にしまい込んだ。

私の中に残り続ける言葉たちは、いつ思い返してもきらきらしている

報道局でADのバイトをしたときは、毎日違う現場に行き、違う取材をし、時にはイベントの主催者の熱い思いをインタビューした。「島根を盛り上げたいんだ」と言ってロックフェスを開催した主催者は、私の中で轟々と熱い炎を上げて光っている。

アパレルでバイトをしたときは、フィッティングに入ったお客様のコーディネートをすることが、一番わくわくした。「お姉さんは、『そっちの服よりこっちのほうがいい』とはっきり言ってくれるから嬉しい」とお客様に喜ばれた思い出は、いつまでも心をくすぐり続ける天使の羽のように残っている。

どれもこれも、大切な思い出で、いつ見返したってきらきらしている。でも、いざエッセイにしようとすると、エピソードが膨大過ぎてまとまらない。
そんなとき、『かがみよかがみ』で『私が歩みを止めたとき』というテーマでエッセイを募集しているのを知った。

折しも、私はトリプルワークを辞めて、正社員一本で頑張ろうという大きな決断をした時期だった。トリプルワークを辞めるに至った、大切な友人からの叱咤や、恩師の本気の心配を残しておきたいと思った。

決意をさせてくれた大事な言葉。エッセイがあったから振り返れた

私が足を止めた瞬間は、ここしかない。いつだって、勉強・バイト・趣味に打ち込んで全力で走ってきた。それをいったんストップしようというのだから、テーマに合うのはこのエピソードしかないと断言できる。

1500字も自分のことを書けるのか、不安のほうが大きかった。でも、なんてことはない。小説では何万字も書くのだから、それを考えたら簡単なことかもしれない。出来事と思ったことを書けばいいだけの話。

エッセイはあっという間に、既定の文字数に達した。投稿フォームのボタンを押して送信したとき、私の中にしまわれていたエピソードが、ひときわ光って脳に焼き付いた。
エッセイを書こうと思い返せば思い返す程、あの瞬間の言葉が心の深いところに刺さったのだと振り返ることができていた。

「体が資本なんよ。もっと自分を大切にしんさい」
刺さった言葉は、痛くて、でもきらきらしていた。軒下に下がるつららのような言葉だった。私に決意をさせてくれた、大事な言葉だった。
エッセイがあったからこそ、自分を振り返ることができた。きらきらしたものを、集めるだけ集めて、自分の中にしまっておくのはもったいない。
だから私は、今日もエッセイを書いている。