「ほんとにいつも食べてるね」

最近、SNSに投稿したマグロ丼の写真に、そんなコメントが付いた。仕事や遊びのことも書くけれど、確かにこの頃は食べ物に関する投稿が目立つ。
毎日のように、違う人と違うお店へ食事に出掛ける。気晴らしなのか自棄なのか、私は、無心で美味しいものを探し求めている。

食べることが大好きな夫婦の幸せは、当たり前に続くと思っていた

食べることは元々好きだ。地図アプリでは、お気に入りのお店や気になるお店に山ほど印を付けているし、特に応援したいお店には渾身のレビューも書く。
学生時代からの交際を経て結婚した彼も、同じく食べることが大好きな人で、こだわりの強い彼が腕によりをかけて作った料理を一緒に食べることが、私たち夫婦の毎日の楽しみだった。

当たり前になりつつあったそんな幸せが、この先も当たり前のように続くと思っていた。けれど私たちは、20代最後のこの年に、4年に及ぶ結婚生活に終止符を打つ。
「私たちは」と言うより、「私は」と言った方が正しいだろうか。離婚の理由は、夫が隠し続けていた不倫だった。

持てる荷物を持ち、すぐに家を出た。翌日には弁護士に相談の連絡を入れるほど、驚くようなスピードで身辺整理を進めた。その甲斐あってか、この世の終わりのように揉めた夜から、およそひと月という短い期間で、離婚届の提出が済んだ。
すっかり抜け殻のようになった私は、実家の自室というシェルターの中で、今も、自分の心がどこにあるのか探し続けている。

夫との最後の食事は、私の大好物のボンゴレ・ビアンコとハンバーグ

一人でいると色々なことを思い出してしまう。特に、最後にあの家で過ごした時のこと。
夫婦じゃなくなり、アパートを引き払うほんの一週間ほど前、元夫から食事に招待された。半端に残った身辺整理のこともあり、インターホンを押して部屋に入る。熱気を帯びた美味しそうな匂いが、私の身体を包み込む。この感じ。

「ただいま!」と、勢い良く扉を開けて帰った日々の記憶が唐突に押し寄せる。
「おかえり」と言わんばかりに用意されていたのは、私の大好物のボンゴレ・ビアンコとハンバーグだった。
もうあの日々に戻れないんだと、記憶の波に揉まれながら、辛くなり、ぽろぽろと泣きながら食い付いた。夫と過ごした時間は、それが最後になった。

「とにかく、人に会ったら?」

曇り顔の私に、親しい女友達が言う。気が進まないながらも、彼女が登録してくれたマッチングアプリを通して、良さそうな人と連絡を取り、食事へ出掛ける。お店もお料理も相手に任せて、私はただ、よそ行きの格好に作り笑いを添えて、その時間を過ごす。
お料理は美味しい。会話も楽しい。でもなんとなく、そのどれも印象に残らない。

写真を撮ってSNSに載せる。自分の生活は充実していると思い込みたいのか、当て付けなのか何なのか、そんなことをしても意味がないのに、それでも私はまた、写真を撮ってはSNSに載せる。

人生最後に食べたい物はと聞かれ、浮かぶのは「ボンゴレ・ビアンコ」

「もし人生が終わるとなったら、最後に食べたい物は何?」

先日食事に出掛けた相手から、唐突にこんなことを訊かれた。
「最後に食べたい物……」
思わず繰り返す。シンプルに「好きな食べ物」を訊かれるよりずっと難しい。しばらく黙って考え込む。
「人生の最後に食べたい好きな物……」

今まで食べたどんなお店のどんなお料理よりも、やっぱり頭に浮かんだのは「ボンゴレ・ビアンコ」だった。
なんてことはないお昼にも、特別な夜にも私の心を満たしてくれた「ボンゴレ・ビアンコ」。最後にあの家で過ごした日、全てに別れを告げるその時に食べた「ボンゴレ・ビアンコ」。
私たち好みの茹で加減、私たち好みの辛さで、あの人が作ってくれた「私たちのためのボンゴレ・ビアンコ」。

これを超えるものに、私はこの先出会うことができるのだろうか。考えても仕方がないのに、その問いが何度も脳内を巡る。もしかしたら案外すぐに出会えるかもしれないし、三つ星レストランのお料理ですら敵わないかもしれない。
そんなことは誰にも分からないけれど、それでも私は、今日も明日も、運命のような美味しい出会いを求めて、広い街へと繰り出していく。