我が家のサンタさんは、エンターテイナーで謎解きクリエイターだった。
クリスマスの朝、枕元を確認するとブーツ型の袋にいっぱい入ったお菓子と封筒がセットされていた。封筒の中には「メリークリスマス!いい子にしていたかな?ママのお手伝いと勉強を頑張るいい子にはプレゼントを贈らないといけないね!グルグル回る銀色はどこにあるかな?」と書いてある手紙が一通。
これの正解は家にある洗濯機なのだが、その中には「よくわかったね!さすがママのお手伝いをいっぱいしているからだね!次はこの写真に写っている物はどこにあるだろう?」という手紙と一枚の写真。

サンタさんの謎解きを進めると、最後に欲しかったものが待っている

こうしてサンタさんから出される謎解きを進めていくと、最後に欲しかったものが待っているという変わったイベントが私のクリスマスだった。
道中もお菓子やちょっとしたおもちゃなどが贈られていたので、大盤振る舞いだったなと今思い返すとサンタさんには驚かされる。
加えて私が小学3年生の時に弟が出来たので、二人分のプレゼントでてんこ盛りだったのだ。サンタさんは二人に平等にプレゼントやお菓子を贈ってくれた。
中学生になると私にはサンタさんは来なくなったが、薄々母なのだろうと察していた歳の割に大人びていた私は「母子家庭なのだから、これで少しは負担も減らせるだろう」などと考えていた。
可愛げのない中学生だったに違いない。それでも母は毎年ちょっとしたクリスマスプレゼントを私にもくれた。
デバイスに繋げて音楽を流すとノリノリで動くクマのスピーカーやハンドクリーム、マフラーや手袋。出かけ先から戻ると自室の枕元にプレゼントが置いてあって、一人でニヤニヤしていたのを覚えている。何歳になっても嬉しいものは嬉しいのだ。

小学6年生になった弟の最後のクリスマス、私もついにサンタ業に着手

そんな私も大人になり、サンタ業に着手する時がきた。それも小学6年生になった弟の最後のクリスマスで。
母と二人で謎解きを考え、最適かつ複雑なコースを作り、プレゼントを家中にばら撒く。メッセージカードにはイラストが得意な私が絵を描き加えて、母が謎解きを書き込む。長い夜があっという間に過ぎていったのを覚えている。
起きてこないか監視したり、起こさないようにコソコソと家の中を行ったり来たり。プレゼントを運び込んでセットしたり。楽しいサンタ業デビューをした。
「どうせなら変な被り物を被せよう」
と、事前にバラエティーショップで買っておいたおもしろグッズを枕元に置いておき、素直にそれを被って起きてくる弟を見て母と二人で大笑いした。そして中学生になった弟の元にもサンタさんは現れなくなった。
今のところはサンタ業に復職する予定はないし、私にプレゼントを贈るサンタさんもいない。
でももしかしたら数年後、またエンターテイナーで謎解きクリエイターなサンタさんが日本のどこかに現れて、家中にプレゼントをばら撒くなんて事が起きるかもしれない。
そんな事を考えつつ、私は街中を流れるクリスマスソングと煌びやかな電飾を眺めながら家族で食べるクリスマスケーキを選んでいるのである。