サンタクロースを信じていた。
素直で真面目な小学生だった頃、世界が「クリスマスにはサンタさんがプレゼントをくれるんだよ」と言ったら、その言葉が幻想であるはずはなかった。疑うことを知らなかった私は、街が色づくとサンタさんへの手紙を書き、クリスマスツリーに飾っていた。
姉たちのお下がりではない、自分だけのプレゼントがもらえるクリスマス
3人姉妹の真ん中っ子だった私には、密かに楽しみにしていたプレゼントがある。それは、サンタさんが私だけに選んでくれるプレゼント。皆で仲良く遊んでねともらう大きな箱も嬉しかったが、お年玉では買えないゲームよりも、「私だけ」の贈り物が嬉しかった。お下がりや共有物が多かった生活の中、私だけの棚にしまう特別なプレゼント。
ある年のクリスマス、ツリーの足元に3つの小包が並ぶ待望の光景が広がっていた。クラブ活動に熱中する姉にはバスケットボール、遠足を控えた妹にはリュックサック。そして、「手先が器用だね」とよく褒められていた私には、ラインストーンを組み合わせてシールを作るおもちゃが届いた。心待ちにしていた「私だけ」のプレゼント。その日はちょうど終業式だったから、帰ってきたら遊ぶんだと息巻いて学校に向かった。
友達との会話も、プレゼントの話で持ち切り。早く遊びたい気持ちを抑えて帰宅すると、成績表を机に出すなりシール作りに取り掛かる。
記念すべき一作目は、型の中で目を引いたピンクと水色のトイプードル。色とりどりのラインストーンを机に広げ、型に合わせて並べては機械に通す。
しかし、なぜか上手くいかない。シールとは程遠い、粘着剤がベトベトについたラインストーンが戻ってくるだけだった。今でも説明書を読まない人間だから、きっと手順を踏まなかったのだろう。諦めが早い私は、何度試しても上手くいかない悔しさと、もどかしさでいっぱいだった。
私だけのおもちゃでシールを作るんだと、期待に膨れ上がっていた気持ちがしぼんでいく。1階でテレビを見ていた母のもとへ走ると、「上手にできない!これ壊れてる!」と文句を言った。そして、どうしたの、説明書を持ってきてごらんよ、と言う母に向かって、「サンタさんに返す!」と言いながら泣きそうになっていた。
「サンタさんは母なのかもしれない」と思いつつ、酷い言葉をぶつけてしまった
あの頃、私はサンタクロースを信じていた。正しくは、サンタクロースが親であるという確信がなかった。
友人の言葉を信じるなら、どうやらサンタクロースはいないらしい。しかし、クリスマスカードの文字は母の文字とは少し違ったし、だいたい大人たちが揃って嘘をつく意味がわからない。半分本物で半分作り話と自分を納得させたものの、友人や親にどう振る舞えばいいのかが分からなかった。
シールが作れなかったあの時、私はなぜか暴力的な気持ちになり、サンタさんは母なのだろうと思いつつ、酷い言葉をぶつけた。
その後、小学校を卒業するとサンタさんは来なくなり、正体が明かされることもないまま家を出た。あのときの母はどんな顔をしていたのか、私は母を傷つけてしまわなかったか、確認する機会があるのかはわからない。しかし、幸い母は生きている。昔話をすることがあれば、そのときには、サンタさんへの謝罪とありがとうを伝えたいと思っている。