「残された親が可哀想じゃがね」
今年の夏、1人の若者の自殺に関する報道を観ながら、私の祖母はそう呟いた。
祖母の口から出た言葉に、強烈な違和感を覚える。
たしかに身近な人が死を選べば、残された家族や友達の悲しみややるせなさは計り知れないだろう。
しかし、死を選択した本人の意志も尊重されるべきではないだろうか。自殺者は死を選択するほど追い詰められていたからこそ、究極の決断をしてしまった。亡くなった方は、きっと自分のことでいっぱいいっぱいだったはず。
祖母は18の時に病気で両親を亡くし、「残された」側の人間だから気持ちが寄ってしまうのも無理ないが、自殺したことで周りを悲しい目に合わせている、というまるで自殺者を責めるかのような言葉と言い方になんだか腹が立ち、そして悲しくなった。

なぜ、死んだ本人よりも、残された人の方が可哀想と言えるのだろう

なぜ、死んだ本人よりも、残された人の方が可哀想と言えるのだろう。生きるも死ぬも本人の決断。自ら死を選んだ人が責められる世の中であってはいけないし、死を選択してしまうほど追い詰められた状況にいたことに思いを馳せたいと思った。
当時、祖母には言えなかったことをここで伝えます。

実は、この頃の私はニュースに出てきた子と同じように「死」を考えていたんだよ。
今年は沢山辛いことがあった。
家族に助けてもらっても晴れない鬱寸前の心。適応障害と診断されてからも、自分の状況や気持ちと向き合うのが苦しくて仕方なくて、何度「このまま死ねたら」って考えたかわからない。
だからこそ、あの悲しい報道を一緒に観ながら、あんなことを言うおばあちゃんに一切共感できなかった。私は、自殺したあの若い子の気持ちが分からなくもなかったよ。
ごめんなさい。そして、私がいつかその決断をした時は、残された側ではなく、死を選択した本人に思いを馳せてくれることを願っています。