「なるべく小さな元気」を集める日々の始まり

自殺未遂をした。特に理由はなかった。
強いていえば、振り積もった悲しみ憎しみが穴の底にビッシリ居着いて苦しい!悲しい!と叫んでいるこの日常に嫌気がさしたのかもしれない。
頭がおかしくなってると思い、交番に行って電話をかけた。
「自殺未遂しました。助けてください」
そんなことしたもんだから、母は私が死なないように仕事を辞めて、私とずっと一緒にいてくれるようになった。

ザ・ブルーハーツの甲本ヒロトは、「小さな幸せや、小さな不幸を集めよう」というようなことを歌った。私はどこで間違えたのだろう。そんなことを思いながら、死に損ねた体で夕飯の味噌汁を啜るのだった。
そこから私の「なるべく小さな元気」を集める日々が始まった。

日光浴、朝食、庭掃除、音楽…日々のあれこれで元気を集める

まずは朝起きたら日光を浴びにお散歩に行くこと。
私は7:30頃に起きるから犬の散歩の時間と同じ時間になってしまって、近所の犬をだいたい覚えてしまった。
日光は気持ちいい。日焼けとか気にせず好きなだけ浴びる。お日様は何も言わない。そこがいい。ただ暖かくて優しい。この世に太陽があってよかった。

次にきちんと朝食を食べること。
フレークにヨーグルトをかけて蜂蜜をかけたものや、時間がある時はパンケーキを焼く。
甘いのが好きだ。甘くて甘すぎずすっきりしたやつが好きだ。好きな物に好きなものをかけて食べること。ただそれだけが一日の糧になる。

その次はお庭掃除をすることだ。
うちの庭は結構ちゃんとしていて、雑草を抜いてやらないと育てている植物が可哀想だ。音楽を聴きながら無心で草むしりする。
この音楽が重要だ。私は無類の音楽ジャンキーで何でも聞くし結構詳しい。様々な音楽に思いを馳せていると、育てている苗まで抜きそうになる。危ない危ない。
抜いた雑草の山を見ると、ちょっとした達成感がある。いいことをしたと思う。

その次は舞台の戯曲を作る事だ。
実はこれが仕事なのだが、依頼されている訳ではなく、自分で勝手に書いて賞に応募するだけである。つまり無職である。それでも親は私を養ってくれる有難いことだ。
戯曲を作るのは楽しい。想像の海に潜って自分の世界を形にするのは、物語のお城を作っている気分だ。

戯曲作りに疲れたら寝る。いわゆるお昼寝だ。エアコンつけて気持ちよく寝る。
世間様に恥ずかしくないのかとどこからが聞こえてきそうだが、その声は無視する。無視しないと死んでしまうからだ。
私は普通になれなかった。精神疾患になって働けなくなってしまった。だから小さな元気を集めるんだ。小さな元気がいつか大きな元気になって私を支えてくれるように。

ちょっとの元気は何気ない日常に散らばっている

お昼寝から起きたらもう夕食の時間だ。
私は今、鬱の段階だと好きなことは出来るが、その他は疲れるというとても罰当たりな状態にある。母が作ってくれた魚の煮付けを、感謝を込めて出来るだけ綺麗に食べる。
美味しいか美味しくないかは今はよく分からない。甘いか甘くないかしか分からない。
でもいつか夕食が美味しいと思える日が来ると信じて日々を過ごす。

夕食が終わったら夫と電話する。
夫は私の精神疾患に疲れてしまったようで今は物理的な距離を置いているが、つい最近まで同居していた。愛する人がいるというのは心の大きな支えにも不安要素にもなる。
一時期何も問題ないのに、失恋ソングがラジオで流れると泣いてしまうという状態にあった。夫がいるから大丈夫なんてことひとつも無い。でもいてくれて嬉しいと思う。生きててくれてありがとうと思う。

自殺未遂をしておきながら、私は私の大事な人達が自死遺族になるなんて悲しすぎて耐えられない。真逆のことをしている。意味がわからない。精神疾患なんてそんなもんなんだろう。
私は今、何もしてないようで「生きる」ためのちょっとの元気をいっぱい集めてる最中だ。そのちょっとの元気は何気ない日常に散らばっている。

ちょっとの「好き」をいっぱい集める。それが私の元気のためにしている事だ。
ほんの少しでいいのだ。好きな紅茶を入れるとか、猫を撫でるとか。それが巡り巡って生きる元気になる。
私の場合はまだ足りてないようだけど、いつかは溢れるほどいっぱいいっぱいになって、死ぬなんて考えられないほど生きることを好きになりたい。