毎年クリスマスには夜景やおしゃれディナー、あるいはイルミネーションの写真と共にアップされる「クリスマスは彼氏と過ごしました」投稿をSNSで見かける。
そしてその度に思う、日本ではなんで「クリスマスは恋人と過ごすもの」という文化が浸透したのだろうと。
なぜ、日本ではクリスマスは恋人と過ごす日に変換されたのだろう
そもそもクリスマスはキリスト教のイベントで、キリスト教を信仰していない人の方が多い
日本でなんで大イベントになったのか。そしてなぜ日本ではクリスマスは恋人と過ごす日に変換されてしまったのだろうか。
調べてみると、ホワイトデーやハロウィンなどと同様、商業的戦略により恋人と過ごす日として認識されるようになったという説をちらほら見て、とても悲しくなった。
アメリカではクリスマスは家族で過ごす人が多かった。もちろん恋人と過ごす人もいたけれど、恋人を自分の家のクリスマスパーティーに連れていったり、昼間は恋人と過ごして夜は家族と過ごすという話をよく聞いた。
日本でのクリスマスの感覚とまた違うことがとても新鮮だった。
アメリカでクリスマスを理解し、「くりぼっち」という概念にお別れ
そういえば中高時代は「くりぼっち」なんて言葉が多用されていた(気になって調べてみたら、まだこの言葉は死語ではなさそうだった)。
クリスマスとひとりぼっちが組み合わせた言葉で、彼氏がいない子たちはみんな「今年もくりぼっちだ~」なんてなげいていた。「くりぼっち」はくりぼっち同士で集まって遊んだり、クリスマス商戦に合わせて稼ぐチャンスと取り連日バイトに勤しんだりするのが定番だった。
そして、くりぼっちじゃない人が勝ち組なんだという認識も強かった。当の私も、「今年もくりぼっちだ~」と中高時代は言っていたし、彼氏と過ごすクリスマスをいち早く経験しているクラスメイトがうらやましかった。
アメリカでの大学生活を経て、クリスマスは別に恋人で過ごす日ではないということを理解した私は、「くりぼっち」という概念とお別れすることができた。
同時に、私は理解した。
クリスマスを誰と過ごすかに勝ちも負けもなくて、私は一度も「くりぼっち」じゃなかったということを。私にはクリスマスにイルミネーションを一緒に見る友達も、一緒にクリスマスの日に夜ご飯を食べる家族もいたから全然くりぼっちではなかった。
もちろん、彼氏と過ごすクリスマスを経験してみたいなと思うことはあったけれども。
家族や友人と同じくらい大切な彼と、今年のクリスマスは一緒に
Christmas is a day you spend with the people you love.
(クリスマスはあなたが大切に思う人と過ごす日だ)
クリスマスって誰と過ごすための、何をお祝いする日なんだろうと考える中で、私にとってクリスマスの定義はこれが一番しっくりきた。
クリスマスは自分にとって大切な人と過ごす日で、大切な人たちがいることを感謝する日だ。それが彼氏である必要ではなくて、友達でも、家族でも、自分にとって大切な人であれば誰でもいいんだと思う。
なんてことを書きながらも、今年はついに家族でも友人でもなく、初めて彼氏と過ごすクリスマスになりそうだ。そしてそれが結構楽しみだったりもする。
でもそれはクリスマスは彼氏と過ごす日だからと思っているからでも、付き合っている人と一緒にクリスマスは過ごすべきだと思っているからでもない。今の自分にとって彼が家族や友人と同じくらい大切な人だから、私は彼とクリスマスを過ごすことを選ぶ。