クリスマスが今年もやってくる。
あの独特の華やかな世界観、街中の浮き足立った雰囲気、寄り添う恋人達、そういうのを見るといいなあと思う。お祭り事は得意ではないけれど少しだけ便乗したくなる。
正直、羨ましい。
私は、ケーキ屋で販売の仕事をさせていただいている。ありがたいことに当然クリスマスは仕事になるだろう。学生の頃からレストランやピザ屋でアルバイトをしていた私は、クリスマスに遊ぶという概念がなく、クリスマスは仕事をするものだと認識している。だからそこに不満はない。自分が好きで選んだ職業なので尚更だ。
しかし今年はこのご時世なので、毎年開催される友人とのクリスマスパーティーなるものもできない。恋人とは遠距離なので、今月は会えないだろう。クリスマスらしいことが何一つできないのだ。
そうなると世間では何と呼ばれるか。「クリぼっち」だ。これはクリスマス、もしくはクリスマス近辺をひとりで過ごす人の事を言うらしい。
私はひとりで出掛けるのが好きなので、行きたいと思えばイルミネーションだってひとりで見に行く。だが周りの目は冷ややかだ。クリスマスにひとりでいると「可哀想な人」という目で見られているような気がする。
出会いの場を提供するサイトや街コンでのコンセプトは、必ずと言ってもいい程、「クリスマスまでに恋人をつくろう」だ。
自分のご機嫌を自分で取る、そんなクリスマスもあり!
なぜそんなに、クリスマスをひとりで過ごすとおかしいという認識になるのか。
怒りと疑問が沸々と込み上げてきた。
ひとりだって十分に楽しく幸せに過ごせる。ましてや時代は令和だ。ひとりだからって、勝手に寂しい人という決め付けをしないでいただきたい。
別に誰かと過ごすことだけがクリスマスではないと思うのだ。そもそもクリぼっちなんて死語も良いところではなかろうか。
私の場合は毎年だが、今年は特にクリスマスらしいことが何もできず、悔しいので自分にプレゼントを贈ることに決めた。
何を買おうか、考えるだけでわくわくしてくる。このわくわく感こそクリスマスの醍醐味だな、と感じる。買い物が終わったら、行きつけのラーメン屋でにんにくたっぷりのラーメンを食べよう。ひとりなので躊躇することなく食べられる。
別にチキンとケーキに固執しなくたって良い。
1年間頑張ってきたご褒美を自分にあげれば良い。自分のご機嫌は自分で取る、そんなクリスマスがあったって良いのではないか。
寒さが本格的になってきて、なんとなく人肌恋しく寂しい気持ちになることはあるし、外の眩い光の中、楽しそうにしている人たちを見ると、いいなあと思うこともある。
ただ、"寂しい"と"羨ましい"はネガティブを生産すると思う。できれば持っていたくはない感情だ。
クリスマスを誰かと過ごしてみたいと思うことももちろんあるけど、ひとりを謳歌できる私は決して寂しい人なんかではない。
クリぼっち上等だ。
クリスマス当日のお祭り騒ぎには観客としてしか参加できないので、ありったけのエネルギーを振り絞って、今年も精一杯、お客様においしいケーキとサービスをお届けすることにする。