毎年、街中でクリスマスソングが流れる時期になると、私の中で、2人の私が顔を出す。

世間のムードに乗り妄想する自分と、クリスマスを冷めた目で見る自分

1人は、世間の年末の浮かれムードに乗っかって、自分もクリスマスに何か楽しいことをしてみようかと妄想してみる自分(一緒に過ごす人がいるのかという問いは置いとくとして)。
もう1人は、クリスマスなんか365日あるうちの普通の1日でしかない、商業目的で盛り上げられただけのお祭りなんだから、世間の流れに逆らうようにできるだけ普通に過ごそうやと自分に言い聞かせる、冷めた自分だ。
いや、後者は決して、大人になって以降私がほぼ毎年クリぼっち同然のクリスマスを過ごしてきた私怨からではない(と思いたい)。
ひとり時間の楽しみ方なら、20数年間の人生でそれなりに学んできた。やろうと思えば、フライドチキンもシャンパンも自分のためだけに買えるし、イルミネーションだってひとりで見に行ける。
でも、そうしたところで、自分の中のモヤモヤが消えることがないのは容易に想像がつく。

海外にいたころ、心が洗われるようなクリスマスの時期が好きだった

私が10代の数年間を海外で過ごしていた頃に、話は遡る。
通っていた高校がキリスト教系ということもあり、クリスマスは一大イベントだった。クリスマスの1ヶ月前くらいから、日々の礼拝の時間にキリスト生誕の説教を聞いたり、クリスマス賛美歌を合唱したりすることが恒例となっていた。そのようにして、穏やかで神聖な気持ちで年末を迎えることが、クリスマスの醍醐味だったと言ってもいいくらいだ。だから当時の私は、心が洗われるようなクリスマスの時期がとても好きだった。
それが、日本に帰国し、大学で周囲とのクリスマスに対する気持ちの温度差に直面したことによって、私は困惑した。
日本人はクリスマスの本当の意味も知らずに、ただ世俗的にロマンチックな時間を過ごす口実にしているだけだと思えた。その証拠に多くの日本人は、クリスマスの1週間後には除夜の鐘を聞き、初詣に繰り出す。おそらくそのどれも、大半の人にとっては「周りがそうするから」「これまでも何となくそうしてきたから」が理由になるだろう。
個人的には、そんな安っぽいノリでクリスマスを祝う慣習など、キリスト教への冒涜とも思えたし、何より、自身の海外での数年分のクリスマスの思い出が否定されたような気持ちになってしまった。

個人的に私はまだ、クリスマスとの適切な距離感が掴めていない

私自身、クリスチャンではないし、海外かぶれしたいわけでもない。
でも正直、クリスマスや結婚式など、都合のいいときだけクリスチャンになる日本人を、見下したくなる気持ちになることもある。
そんなときに、日本的クリスマスに反抗的で、わざと普通の日として扱いたくなる自分が現れる。
一方で、海外経験がなかったとしたら、果たしてこのような疑問を持っただろうか、と考える自分もいる。私自身、クリスマスのプレゼントやご馳走、パーティーを楽しみにしていた子供の1人だったし、それこそがクリスマスの全てだったのだ。
だから、純粋にイベントとしてのクリスマスを楽しみたい日本人に向かって、私がとやかく言う筋合いもないことを承知している。そして、だからこそ「2人の私」はいつまで経っても、私の中から消えることなく共在する。

個人的に私はまだ、クリスマスとの適切な距離感が掴めていない。
何も考えず素直に日本人っぽくクリスマスというイベントに便乗したい自分と、日本的クリスマスを蔑む自分との間で、未だに揺れている。
とは言いつつ何だかんだでやっぱり今年も、クリスマスを言い訳に自分にケーキくらいは買ってきてしまうんだろうな、と思う。