12月に入ると感じるクリスマスの高揚感――。
その中で一人取り残されたような疎外感を感じてしまうのは、私だけだろうか。

中学生ぐらいから「クリスマス」の高揚感を感じる余裕はなかった

かく言う私にも、クリスマスが楽しみでたまらない年頃があった。
小さい頃はサンタさんに手紙を書いて、当日を待った。押し入れの中から自らクリスマスツリーを引っ張ってきては、せっせと飾った。当日はホールケーキを食べるのが楽しみでたまらなかった。

中学生ぐらいになると、クリスマスは、部活や勉強に忙しい平日のとある1日、という位置づけに変わっていった。12月の終わりは受験生になれば本番前の追い込み時期になる。季節のイベントを楽しむような余裕はなかった。

晴れて大学生になった私は、飲食店でアルバイトを始めた。そして、クリスマスはフライドチキンの販売に明け暮れる。
サンタさんの帽子をかぶり、お店の前に出て、宣伝をする。クリスマスは稼ぎ時という位置づけに変わってしまった。

社会人になってからも、クリスマスとは無縁の生活だった。一緒に祝う人も居なかったし、一人暮らしでわざわざクリスマスのごちそうを用意することもなかった。
街はイルミネーションやクリスマスの飾りに包まれているというのに、その高揚感に加わることは出来なかった。

クリスマスと無縁が当たり前だと思っていたから、答えられない質問

そんなクリスマスが何年か続き、私は子どもと接する仕事に転職する。ある日のこと、
「先生は、クリスマスプレゼント何が欲しいの?」
不意に子どもから来た質問にビックリしてしまった。
クリスマスプレゼントに何が欲しいって最後に考えたのは一体いつだっただろうか。結局その場では気の利いた冗談も言えず、話題を変えた。

今まで、クリスマスと無縁の生活は、大人になれば当たり前のことだと思っていた。しかし、不意に子どもから発せられた質問に、初めて自分自身が寂しさを感じていたことを自覚する。
大人になれば、サンタさんに手紙を書くこともしなくなるし、一人暮らしだと自分で準備をしない限り、クリスマスツリーもチキンもホールケーキもない。そういうものだと自分に言い聞かせ、寂しさを押し殺していた。
では、自分で用意をすればいい、それだけのことではないだろうか。大人になったからこそ、自分の楽しみは自分で作る。それだけのことではないか。

1年頑張ったご褒美に。そして自分のためにクリスマスを楽しもう

早速私は部屋の飾り付けから取りかかることにした。何もお金をかける必要はない。インターネットで検索すればクリスマス飾りのペーパークラフトのテンプレートは簡単に手に入る。久しぶりに工作をするのも、童心にかえることができ、楽しかった。

ひとまず、クリスマス感が出てきた。まだまだ。これから家で過ごすときのBGMはクリスマスソングにしよう。今年はイルミネーションも見に行ってみようか。そして、当日は、自分のためにチキンとケーキを用意しよう。クリスマスの計画に胸を躍らせる。

私なんて、とそっぽを向く必要なんてない。1年頑張ったご褒美に、自分のために、クリスマスを楽しもう。今年は忙しいクリスマスになりそうだ。