わたしは新しいものが大好きだ。
インスタで見たおしゃれなカフェで友達といろんな話をしたいし、YouTubeで話題のコスメ情報を集めて、実際に試してみたい。
自分が投稿する写真は、美しく、華やかなものでありたい。

いつからだろう、SNSがわたしの生活の一部になったのは

素敵なモデルやインフルエンサーの写真を見て、少しでも理想の姿に近づきたいと思う。友達の投稿にタグ付けされている楽しそうな人と、つながりたいと思う。

どうやったら可愛い写真がとれるのか、会ったこともない人の投稿を眺める毎日。何も考えずに写真をとる日々。流れてくる投稿にただ目を通す時間。次第にそれが増えていた。
そしてある時、ふと思った。
「いつからだろう、SNSがわたしの生活の一部になったのは?」

振り返ってみると、いつからかわからない。
いつの間にか、わたしの生活の一部になって、たくさんの時間を画面の前で過ごすようになっていた。まったく気が付いていなかった。

中学生のときには、SNSの前身となるようなプラットフォームを作っていた気がする。
高校生になると、学校のほとんどの友達がSNSを毎日使っていた気がする。そして、同じ悩みをもっていた同世代の女の子とつながって、お互いに励ましあった気がする。
大学生になると、SNSがないと友達が作りにくいと感じるようになった気がする。
働きはじめると、仕事のための情報取得手段として必要不可欠なものになっていて気がする。

SNSを見ては嫌悪感を持ち嫉妬する。限界を感じ、離れようと思った

朝起きていちばんに、枕元にあるスマホを手に取り、SNSをチェックする。
日中も隙間時間があればアプリを開いて、もう何年も会っていない高校の同級生がお昼に何を食べているか知る。
夜は寝落ちするまでずっと画面を眺める。夢の中でも友達がSNSに何かを投稿していた。朝起きて、それが夢だったのか、それとも現実だったのかわからない。

知らず知らずのうちに、どんどん依存が強まってくると、仲の良いあの子が投稿していた内容に少し嫌悪感を持ち始める。実際に会って話をすると、すごく優しくて、居心地の良い人なのに、SNSの投稿が気に入らない。そしてなんだか距離を置きたいな、と思う。
また別の日には、わたしが仕事で忙しい時に、楽しそうな写真をいつもあげているあの子に嫉妬する。なんだか、憎らしいというか、悔しいというか、言葉にはしたくない嫌な気持ちがこみあげてきた。

「なぜ、わたしだけこんなにがんばっているの?どうしてあの子はあんなに楽しそうなの?」

もう限界だと思った。少しの間、SNSから離れようと思った。思い切ってSNSのアプリを全部、スマホから消してみた。

当たり前にしている行為に意識を向ける。日常はなんて美しいのだろう

すると、大きな変化と気づきがあった。
まず、夜は熟睡できる。今までずっと寝るまでブルーライトを浴びていたので、休まることがなかったけれど、画面の前で過ごす時間が減ったので睡眠の質が格段に上がったのだ。

そして、自分のために使える時間が増えた。
ちょっと疲れた時に、からだとこころのケアをするとても大切な時間。ゆったりと入浴すること、本を読むこと、好きだったことに使う時間。
食べること、スキンケアをすること、家族と話すこと。それぞれ当たり前にしている行為に意識を向けてみる。
わたしの日常はなんて美しいのだろう。そう思えるようになった。本当に自分の好きなことを思い出した。
誰の目を気にすることもなく、ただ純粋に自分の時間を楽しむ。自分の人生を謳歌する。日々の暮らしを意識する。これだけで、格段に幸福度が上がる。

もちろん、SNSは楽しいし、いろんな人とつながることができる。きっと無限の可能性を秘めているツールだと思う。だから、きっとわたしは完全にSNSをやめることはない。
けれど、たまには少し距離をとった方が、ヘルシーな関係でいられるのかもしれない、と感じた。