幼い頃からずっと、アイドルになりたかった。揃いの衣装を着て、ステージに立つ自分を想像していた。

しかしその夢は叶うことなく、すでに20歳を過ぎてしまった。特別美人でもスタイルが抜群なわけでもないが、ずっと憧れていたからこそなりたかったのだ。
オーディションにはもちろん何度も参加していたが、一度も上手くいくことは無かった。

本気でアイドルを目指し、自分磨きにより一層力を入れていた

私は、親から安定した職に就きなさいと言われて育ってきた。今はまだ学生の身分であるが、このままいけば親から敷かれたレールの上を歩く人生になるのだろう。
しかし、将来を決め付けられることよりも、本当の夢をはっきりと打ち明けられない自分に嫌気がさしていた。

この歳になるまで、夢を打ち明けることができないのはなぜだろうか。アイドルに限らず、なりたいものはあるのに、それを他人に話すのはそんなに恥ずかしいことなのか。大人になってからよく自分に問うことである。

本気でアイドルを目指していたころは、自分磨きにより一層力を入れていた。
ダイエットに加えてメイクにスキンケア、ダンスと歌の練習。さらには前髪が動かないように綺麗に固める方法、加工をせずに他人から見た表情など、さまざまなことを研究した。

もちろん勉学にもしっかりと励んでいた。いつか武器になると信じて、取得したい資格など目標を多く持つようにした。
周りからの私のイメージは「いつも笑顔でがんばってる優しい人」だった。

キラキラした投稿で自分自身を着飾った。私は自らの行動に疲れていた

SNSを開けば、友達同士での飲み会、カップルでの仲睦まじい様子、購入したコスメや服など。いろんな人のキラキラした投稿が溢れている。
気がつけば、そういった他人の日常を見るのが当たり前になっていた。それを見ることで、自分にはないものを持った他人に対し羨望の目を向けていたのだ。
だからこそ、私も例外ではない。もともとあまり投稿する方ではなかったが、友達と会うたびにその日の出来事をSNSに投稿することが当然になっていた。

厳選した写真と共にかわいい絵文字を並べた文章を書いては、私自身を着飾った。こうすることにより、キラキラした世界に入っているのだと見せつけたかったのかもしれない。
そして、思い返せば友達との写真には人一倍気を遣っていた。自分だけが良く写りすぎないよう、悪く思われないようにしていた。

これは私がアイドルになりたかったことと関係の無い話に聞こえるかもしれない。
しかし、果たしてこれは本当にありのままの自分なのだろうか。周りの人たちはこのような細かいことまで気にしていないかもしれない。良く考えれば、かわいいの定義とは何なのかも分からないのに。それにも関わらず、自分が作り上げてきたイメージを必死に守るために他人からの見られ方に敏感になっていた。

こんな事を思うくらいに、私はこれまでの自らの行動に疲れていたのだ。
アイドルになりたくてもなれず、オーディションに落ちては毎日のように泣いていた。一番の目標は叶えられずに絶望しているのに、周りの目ばかり気にして、すべてが上手くいっているかのように見せていた。

もちろん、綺麗な部分だけを見せるのが悪いことではない。
しかし私はそうすればするほど、自分の心にもやもやとした気持ちが増すような気がしたのだ。
「アイドルになれていたら」今頃どんな生活をしていたのだろう。

「アイドルになりたい自分」の積み重ねて、小さな自信がついた

現在私は、目標である資格を取り、それを職業として将来に生かすという新たな夢を持っている。まだ家族に打ち明ける勇気はないため、独学で学び資格を取得できたときに報告することを心に決めている。

結果的に「アイドルになれなかった自分」は、「アイドルになりたい自分」を積み重ねてきたことで、今では小さな自信を持つことができている。
だからこそ、他人から「アイドルみたいだね」と言われると少し苦しくなる反面、これまでの努力が報われたような気がして、お世辞でも嬉しいものである。