日本にいると、どれだけ1人ぼっちでも助けてくれる人や環境がある

私の人生の分岐点には、必ず「旅」があった。

18歳の時、1年間行ったアメリカ。
家族、友達、恋愛、自分自身、私の持っているものの全てに満足していない。そんな頃。
だから、環境をガラリと変えることができる「旅」に私はその全てを託した。
鞄1つに自分の生活を詰め込んだ。
いつも使っている物たちが、90リットルのスーツケースの中には入らなかった。
そんなこんなで私のアメリカの生活が始まった。

1日目のことはよく覚えている。
夜中にアパートに着いた。
シーツカバーのないベッド、空っぽのクローゼット、シーンとしたリビング、エアコンが寒かったけれど、使い方が分からない。車もない。夜中のアメリカで女性が1人で外に出てはいけない。どうしようもない夜、私は人生で初めて孤独を感じた。

日本にいると、どれだけ1人ぼっちでも助けてくれる人や環境がある。
手に届く距離に家族がいて、通じる言語があって、どんな人でも頼れば助けてくれる。その環境で生きれる事が私の中でどれだけ安心できる事なのか。

私は完全に孤立した。同じアジアなのに、私だけがカタコトの英語

アメリカで、学校へ通った。
語学学校だが日本人の少ない学校を選んだので、クラスに私しか日本人がいなかった。
日本語は日本でしか通じない。
それは当たり前だが、島国である事を痛感した。

別の国同士でもスペイン語圏、アラブ語圏、中国語圏の人達はすぐに仲良くなり、私は完全に孤立した。同じアジアなのに、私だけはカタコトの英語を使う。
言葉に頼れない。
私は今まで、言葉にどれだけ救われてきたのか。

もう、この日からは自分の数少ないボキャブラリーの中から選んでいくしかない。
だから、誰かや何かを批判するようなネガティブな事を言ってられなかった。
「あなたはいつも余計な事ばかりする」なんて言うより、「いつもありがとう。助かっている」と言う方が、数限られている出会いを減らすこともない、それに言葉を無駄遣いすることもない。
何気ない言葉を、私は大切に使いたいと思うようになった。

自分の「当たり前」を壊す方法の一つが、「旅」なんだ

ある時、私は成人式の為一時帰国をする手続きをしていた。
アラビックの友人に成人式とは何か聞かれた。
私は「同じ地域の出身である20歳になる年代の人達が集まるセレモニーだ」と伝え、だいたいの人が揃うと言うととても驚いていた。
それは、彼らにとってはあり得ないらしい。

なぜなら、病気や戦争、食糧不足により別の国に出稼ぎに行くなどして、そもそも生きているか分からないらしい。
連絡が取れない友達はザラにいると言っていた。「アメリカに来れて良かったね」と言ったが、それはそれで違うらしく、彼の国はアメリカと仲良くないので、ここにいても居心地がいいわけではないと言う。

私たちは、あまりにも無知で、いつも同じ思考で物事を考える。
今日考えていたことは、昨日も考え、きっと明日も考える。
違う毎日を送っているようで、大して変わらない。
同じような場所で、同じような人と話す。

私は自分を別の場所へ連れて行ってあげる。
私は自分に対して違う環境を与え、違う考えをさせ、学ばせる。
それが自分の「当たり前」を壊す方法の一つだ。
それが「旅」なんだと思う。
これからも私は「旅」を通して、自分と向き合っていきたい。