私は「推し活」が生きがいのアラサーニートである。
タイトルから「虚言癖ですか」と思われるかもしれないが、私の「推し」はファンの方のSNSを結構見るのだ。
「推し」は「エゴサ」という自分自身の名前を検索し、どのようにSNSで投稿されているかチェックするのはもちろんのこと、
コメントをくれたファンのアカウントページにわざわざアクセスしている。

なぜわかったかというと、ファン交流会で「ゆめみがち(私)さんのアカウントページに載せてる動画、拝見しましたよ」と言われたから。
念の為言っておくが、他のファンの方も「アカウントページにしか書いてないことを触れられた!」と言っていたので、私だけ特別というわけではない。
そう、私の「推し」はファンのことめちゃくちゃ見ている。

見られるなんて思わなかったから、「推し」への気持ち悪い投稿がある

「どんだけ見てんねん!」とツッコみたくなったが、「推し」の中で、ファンが何者なのか知っておきたいというものがあるのだろう。
万が一変なやつ、気持ち悪い奴だったら脳内の要注意リストに入れておきたい……という確認の意もあるのかなと思う。
実際ファンマーケティングでは、ファンによる行き過ぎた感情によるトラブルが付き物だし、大切なことだ。

まあ、私自身が、その変で気持ち悪い奴なんだけどね!!

自分のアカウントページを「推し」がわざわざ見てくれるなんて嬉しいことこの上ない。
だけど、私のアカウントページには、まさか「推し」に見られているなんてまっったく思わなかったから、
「推し」に対するかなり気持ち悪い投稿がたくさんある。以下が一部だ。

「組んだ脚なが~~~!!ずっと脚のライン見ちゃってたわ~~~」
「今日は衣装の襟ぐりが広くて鎖骨がセクシーでちたね!!」

本当にごめんなさい。
ネットリテラシー、モラルに反するようなことは書いてないつもりだったが、気持ち悪いことを気持ち悪いテンションで連投していた。

「推し」を不快にさせたくなくて、溢れる思いは非公開アカウントで

いや、これは「推し」への愛情表現というか、脳内の溢れる思いを何のフィルターも通さずそのまま書き連ねた結果に過ぎない。
でも「推し」本人が見る想定では全く書いていなかった。
「このセクハラじみた投稿文章見られたかもしれない。不快にさせてしまったらどうしよう」と、正直冷や汗が止まらねえ。

そんなことがあったので、「推し」への気持ち悪くも溢れる思いの投稿は、専用に非公開アカウントページを作り、そこで書き連ねた。
数人だけ仲の良いファンの仲間達は見られるようになってはいるが、基本的には誰も見られない。
もはや独り言のようなものである。
元々、自己満足で書いていたものなので変わらない、今まで通り投稿していった。

しかしまたファンとの交流会で「推し」に、
「ゆめみがちさん、最近SNSの投稿少なくないですか?大丈夫ですか?」
と言われてしまった。
「いやどんだけ見てんねん!」(2回目)
まあそんなところも推せるのだが。

「推し」への配慮は、熱量が冷めたと思われたかも。SNSって難しい

そう、非公開ページではたくさん、むしろ今までよりたくさん「推し」への思いを投稿していたのだが、それは「推し」には見えない!
私は「推し」に気持ち悪い投稿を見られないよう、「推し」が不快な気分にならないように配慮したつもりが、「推し」からは「この人投稿少ないな、もしかして熱量が冷めたのかな」と思わせてしまったかもしれないのだ。
SNSって難しいなと改めて感じた。

そして現在は、気持ち悪い投稿だけではなくて、ちゃんと文章のまとまりを持って「推し」の素晴らしさを伝えるように投稿することを心がけるようにしている。
「推し」への溢れ出す気持ちを、変態チックでセクハラじみた文章ではなく、きちんと伝わるように整える・語彙力を鍛えるようにベクトルを変えてみた。
と言っても、まだまだ出来ておらず、中途半端に面白みのないへ表現に留まっている気もして、奮闘している。
ただ、月日を追うごとに微々ながらもレベルアップしていけることは確信している。

だってファンというものは、「推し」が何かアクションを起こすたびにSNSでの投稿をやめられない性質なのだから。