私は大人数の食事会が苦手だ。
大人数とは大体7、8人以上だろうか。最近、なぜ大人数の食事会が苦手なのかについて考えていて、1つの答えが出た。

色んな人が混じっていると、どう振る舞ったらいいかわからなくなる

私は心の扉が10枚ぐらいある人だ。初対面では基本的に10枚の扉は鍵がかかった状態で閉まっていて、関わっていくうちに少しずつ開いていく(稀に素敵な笑顔を向けられると、一度に3枚ほど開いてしまうこともある)。
7、8人の集まる食事会となると、扉が8枚開いている人、3枚の人、1枚も開いていない人など、色んな人が混じっている場合が多いので、私はそのなかでどう振る舞ったらいいのかわからなくなるのだ。私はよく人から大人しいとかふわふわしていると言われるが、そう言う人は私のことを全く知らない人だ。親しくなるとくだらないことを言って笑ったり、誰よりも大きな声で叫んだりする普通の変な人だ。
そういえば高校の時始めたツイッターやインスタグラムのアカウントも今はめっきり使わなくなり、新しくごく親しい人だけをフォローする小さなアカウントを作り、そこで発信するようになった。

「気兼ねなく投稿したい」。小さなアカウントを作って気付いたこと

これも大人数食事会苦手論と似た理屈がある。
SNSを始めた当初は、とりあえず同じ学校の人はフォローしておこうという軽い気持ちで数百人と繋がっていた。
しかしある時から、投稿することが、その数百人の前で意見を発表しているみたいだと感じて緊張してしまうようになり、もっと気兼ねなく投稿したいという思いから小さなアカウントを作った。
スマホの画面上とはいえ数百人、食事会どころではない人数だ。親しい人から名前しか知らないような人までいるので、大人数の食事会と同じように当然どんな顔をしていたらいいのかわからなかったし、素やアイデンティティーを出すのが怖くて、当たり障りのない、目立たない、無個性な言葉、楽しかったや美味しかったを無意識に選んでいた。
しかし小さなアカウントの方を使い始めると、投稿する内容も使う言葉も、私らしさが出ている、むしろもっと人とは違う私らしさを出したいと感じている自分に気が付いた。 
またインスタのストーリーズでは、投稿毎に公開する人を選べる機能があるので、私はこれを多用している。
出かけ先の景色は全員に公開、好きなアイドルの出ているテレビ番組のスクリーンショットはそこそこ親しい人を含めた20人ほど、恋人との写真はごく親しい5人ほど、と内容が個人的であったり内面に迫るものほど公開できる人数が減っていく。

10枚扉の制度を良しとはしていない。一度に3枚開かせたい

しかしこの理論は、親しいほどさらけ出せるという比例グラフでは表せない。必ずしも1番親しい友人に全ての面を見せているわけではないのだ。

私には中学からの仲で、心の扉はもう網戸ぐらいしか残っていないような友人がいるのだが、彼女はほとんど家族のような存在で彼女にはいつも素をさらけ出しているので、反対にお洒落ぶった投稿は小っ恥ずかしくて見られたくない。
例えば、大学の友達と暖かい日にキャンプ用の机と椅子、雑誌を持ち寄って木陰で読書会をしている写真に、「まどろみのような休日」と添えたストーリーズは網戸の子には公開していない。あまりに洒落た風なので、すっぴんでこたつでアニメを見るような休日を共に過ごしている彼女に、おい何をかっこつけているんだ、と思われてしまいそうで照れ臭いのだ。
対面だろうとSNS上だろうと、扉が10枚閉まったままの人に突然素をさらけ出すのは難しいことだが、私はこの10枚扉の制度を良しとしているわけではない。心を開いて人と関わりたいと思っているし、反対に笑顔で人の心を一度に3枚開かせられるような人でありたいと思っている。
4月から新社会人……。人間関係を一から築くことに不安もあるが、自分の扉は半開きにして、また扉の中にいても聞こえる明るく大きな声で「おはようございます!」を言おうと心に決めている。