2年前、推しのレースをネットで見て、笑顔をみて、すごくかっこいい人だなと思った。
それまでに好きになった選手は、あまりにもいつも強くて凛々しくていつもニコニコしてて凄すぎて、人じゃないみたいに思ってた。でも、スタート前はあんなに笑顔なのに、悔しくて泣いて、感情を爆発させてる推しを見て、なんかいいなと思った。
その日からスマホの写真フォルダは彼の写真でいっぱいになり、気がつけばそのフォルダを開き、推しのSNSには全てに反応し、レースのたびに誰よりも一喜一憂し、私の人生はどんどん推し色に染まって行った。
マイナーな選手だった推し。あれよあれよと本人に認知され…
私の愛してやまない人は、「バイクレースの選手」だ。
大切なのは「バイクレース」の部分ではなく「選手」という部分で、好きになった人がジャニーズではなく、たまたまレースの選手だった、ということだ。
友達(当時はSNSでよく見かける人程度)の撮った推しの写真が私の中で大ヒットし、マイナーな選手だった推しにはファンが少なく、あれよあれよと言う間に本人に認知され、LINEでやりとりしたり電話をしたりするようになった。
それからLINEや電話をを重ねるうちに、彼は困った癖を持っていることがわかった。事あるごとに「抱き枕がほしいから来て欲しい」と言うのだ。
流石にそれは冗談だ、ファンの私にそんな気があるわけないと聞き流していたのだが、ある日、半分推しの本心を確かめる意味も込めて、ホテルの住所を送ってくれたら行きます、と言うと本当に遠征先のホテルの住所が送られてきたのだ。焦った私は、本人にしつこく本気なのかと聞いてしまった。
謝罪のLINEが来た日、推しは一度も勝てなかったレースで初めて勝った
次の日、彼からは思わせぶりな態度ばかり取ってごめんなさい。という謝罪のLINEと、昨日の話はなかった事にして欲しいという文が来ていた。
なんの縁だか、推しはその日のレースで初めて勝った。2年も応援してて、一度も勝てなかった推しが急に勝った。
表彰式では、推しは目がなくなるくらい笑ってた。私が2年間ずっとずっと見たかったのは、この笑顔だった。飽きるくらい何度も夢に見て、私がずっとずっと見たかったのは、この笑顔だった。今まで悔しい顔をずっと見てきたからこそ、その時の笑顔は格別でこの笑顔を見るためにここまできたんだと思えたほどだった。
この瞬間に、もしかしたら私は推しの隣にいられるんじゃないかってずっと思ってた。推しが勝った時には、どんな顔をするのか、どんなことをするんだろうってずっと考えてきた。
でも、現実には推しの隣にいたのはチームの人で、ハグをしたのは推しのチームメイトの女の選手(既婚)で、推しの中で私の存在は1ミリもないのだという現実を目の当たりにしてしまった。
それから、彼からは連絡は来ていない。「また時間ある時に話したいです」のメッセージに対して、「了解です」と返ってきただけだ。
たぶんもう連絡はこない気がする。諦めなければならないことはわかってる。
女としての幸せを得る機会は失ったけど、ファンとして幸せを掴んだ日
でも、この2年でスマホの写真フォルダには推しの写真で溢れ、彼が好きだと言ったアーティストの新曲で街も溢れ、暇な時には勝手に彼のことを考えるように癖がついている。
推しが活躍すればするほど、メディアは求めてもいない推しの情報を押し付けてくる。SNSを開けば彼の情報が波のように押し寄せてくる。もう諦めようとすればするほど、この2年の重みを実感する。
大好きだった。好きで好きでほんとに好きで、推しがかけてくれた言葉、あだ名、LINEの返事、全てを思い出にするにはまだまだ苦しい。頑張って切り替えようとしてるタイミングでまた新しい推しの写真や情報や、レースの内容が飛び込んできて、また私は推しを好きになるんだと思う。
あの日、女としての幸せを得る機会は失ったが、ファンとしては初の勝利という最高の結果をもらった。
どんなに好きでも叶わない。一生私の片想いだ。好きになったら当たり前に望むことができる両思いも、そばにいることもできない。
それでも私は彼を好きでいることをやめることができない。