ずっと「女の子」としての自信がなかった。それが私のコンプレックスであった。
と言ってもトランスジェンダーなわけではない。自分自身の心や体が女の子なことに違和感を持っているのではなく、例えば好きな人の前で「女の子らしく」「可愛く」振る舞うことに、非常に大きな恥ずかしさや違和感を覚え、つい粗暴にがさつにふるまってしまうのだ。

「まよって男だよな」とか「本当に女捨てている」などと小さなころから言われていた。小学校5年生のときの学芸会では男役の奴隷農場主を演じ、劇の中で鞭を振り回し主人公の奴隷役の男の子を殴った。男「勝り」なのは自分でもずっと自覚していた。

ファンファーレのように響くおなら。「女の子」としての自信は消えた

しかし、私は自分自身が「女の子」としての自信がなくなった瞬間を覚えている。小学校からの知り合いが殆どいない中学校に進学して1か月、体育祭を前にしてクラスでグループワークをしていたときのことだった。
自分の席ではない、クラスメイトの男の子の別の席に座っていた。みんな自分のワークに取り組んでいたため、教室中はとても静かだった。いつも通りにぎやかな雰囲気であったら、私の人生は少し変わっていたのかもしれない。
よりによって静まりかえっているとき。「ブーッ!」とおならをしてしまったのだ。
私の人生の転機を知らせるかのような、そのファンファーレのようなおなら。静かな教室に響き渡った。

一瞬の沈黙。

そしてその後、教室は弾かれたような笑いに包まれた。

「こいつ女のくせにおならした!!!」
「ありえねーーー女じゃねえ!」
「くせえーーーー」

席を借りていた男の子は、給食係用のアルコール消毒液を私が座っていた自分の席に全部ぶっかけた。「こら!全部使うんじゃない!」と先生に怒られると、「俺は悪くない!黒川さんが悪いだろ!!!」とキレ返していた。

おならをした本人の私は、穴があったら入りたい恥ずかしさを隠すように、へらへらしていた。視界の片隅に、数少ない、小学校から一緒に同じ中学に来た「彼」も笑っているのを、捉えながら。

おならは難病の症状。そう言えずに自らいじられキャラに

彼とは小学校6年間クラスが一緒だった。中学に来て、他の友達に、
「黒川って名前読みにくいよな、なんて読むの?」
と聞かれていて、
「まよって言うんだよな、な、まよ!」
と6年間で初めて下の名前を呼ばれたこと。
6年間で見慣れているはずの笑顔。でもその時のその笑顔がなぜか忘れられなくて、それ以降視界の片隅に入ってくることがなぜか増えたのだった。その彼が、笑っている。「女としてありえねえ」と言いながら。

私は潰瘍性大腸炎という難病を患っていた。大腸に炎症が起きる病気で、主な症状としては、腹痛、血便、下痢、そして私の場合は、特におならが症状としてよく出てしまう。しかも臭くて音ありのやつ。

「難病なんだ、好きでしてるわけじゃない」
そんな言葉はきっとこの場を盛り下げてしまうだけ。
そう思った私はその後もおならを人前ですると、「黒川産の香水だよお」とか「芳しいでしょ?」とか下手な冗談を添えるようになった。そんなことを言う屁をこく女子中学生を、周りがいじらないはずがない。私は学年でも有数のいじられキャラとなった。

おならをするたびに、女としてありえねえ、と笑いが起きる。笑いの中心となっている自分を少し得意げに思うと同時に、視界の片隅の彼の顔をちらっと見て、少し心がきゅうっとなる。そんな日々が続いた。
結局、その彼には中学2年の時に告白して振られてしまった。「友達としてしか見られない」と言われてしまって。

傷ついていたあの頃の自分を、「大丈夫だよ」と抱きしめてあげたい

今私は他の男性とお付き合いをしている。お腹が痛いというと腹巻をプレゼントしてくれたり、腹痛でトイレから出て来られなくても何の嫌な顔もせず待っていてくれたり、むしろ向こうも遠慮なくおならをぶっ放す。そして「くっさいね」とお互い爆笑する。そんな男性と出会うことができた。

「友達としてしか見られない」を「女として見られない」と意訳してしまったあの頃の自分。どうせ女として見られないならとあえて粗暴に振る舞ってしまったあの頃の自分。おならをして爆笑を取るたびに静かに傷ついていたあの頃の自分。
今なら「大丈夫だよ」と抱きしめてあげることができる気がする。