電車の乗客、路上の隅で待ち合わせをしている人、店の中……。いたるところでスマホをのぞき込む人を見かける昨今である。
一緒に下校する意味があるのか、とツッコミを入れたくなる。
一人でいるときはまだしも、友達と一緒にいるときでさえスマホをのぞいている人が非常に多い。電車の中、友達と一緒に下校中であろう高校生たちが無言でスマホをいじり、一切おしゃべりをしない光景をよく見かける。彼らは自分の降りる駅に着いた時にしか言葉を交わさないこともある。「じゃあな」の一言だけしか肉声を交わさないのである。
そのような光景を見かける度、お前たち、一緒に下校する意味があるのか、とツッコミを入れたくなる。
私の職場でもそうだ。
休憩室にて、グループで入ってきて席に着き、最初は世間話をするのだが、次第に口数が減ってスマホをいじり始めるのである。私の職場だけでなく、日本中の職場の休憩室で毎日のように起こっている出来事だろう。
一緒にいるのだから、話せばいいのに……。斯く言う私も、スマホをいじる側の人間である。同席している皆がスマホをいじり始めるので、私も流れに従っていじるのである。
正直、二人以上のグループで、話が終わるや否やスマホをいじり始める時間が好きではない。先述したように、一緒にいるのだから話せばいいのに、とツッコみたくなるのと、自分もスマホをいじらなければ、私だけがのけ者にされたような気分になるからだ。
目の前で適度な人間関係を築きながら、一人の世界にも没入できるおいしい態度
そうは言っても、自分から他人に振る話のネタがない。なので自分一人だけの世界に入るしかない。それならば最初からグループに混じらなければいい、と思いつつも、人間関係は仕事や日常生活を快適に過ごすためには重要なので、ある程度のコミュニケーションは大切である。休憩室で会社の仲間に挨拶をしたり、休日に友達と会う約束を取り付けたりする。だが、皆はスマホを片手に対人コミュニケーションに挑んでくる……。
人と話したくないのか話したいのか。それとも、妄想をたくましくするならば、新しい対人コミュニケーションの形が生まれつつあるのだろうか? 人と相対しながらもスマホを握ることで一人の世界に籠ることが許可されるスタイルだ。目の前の人間と適度な人間関係を築きつつ、一人の世界にも没入できるおいしい態度。
しかし、もしそうならば、その新しい対人コミュニケーションは、なんだか「目の前のあなたより、ネット世界のほうが断然面白い」と暗に言われているようで、気分はあまりよくない。
確かに、インターネットが作る世界は面白い。書籍や、ゲーム、映画もネットにつなげば楽しめる時代になってきた。TwitterやInstagramで友人だけでなく有名人のコメントや写真ものぞける時代である。
SNSだけで完結する人間関係もある。「笑い」を表現する言葉として「w」や「草」が生まれたように、SNSから新しい言葉も生まれる。新聞には掲載されていないがSNS上では「炎上」して話題になるニュースもある。ネット世界は最早、別世界である。
「異世界もの」の流行が、現代人の心理の一側面を表している気がする
別世界と言えば、最近、アニメやライトノベルの分野では、「異世界」を舞台とした作品が流行っているらしい。そうした作品群は「異世界もの」といい、現在まで膨大な数の作品が存在するという。
ストーリーのパターンは様々あるらしいが、主人公が現実世界で死亡するなどをして、現世の記憶を持ったまま異世界に転生、あるいは転移し、そこで大活躍するのが典型的なストーリーのようだ。大抵、主人公は強力な力を身に着けている、女の子にやたらモテるなど、異世界において好待遇であることも、よくある特徴らしい。そのためなのか、主人公は現実世界に未練があるようには見えない。
因みに、ネットで調べると、2000年代前半から「異世界もの」作品が存在しているようである。インターネットが一般に普及してきた時期と被る。
これも妄想に過ぎないが、この「異世界もの」の流行が、現代人の心理の一側面を表している気がしてならない。現代人は、生身の人間がいる現実を冷めた目で眺めていて、どこかで「異世界」を求めているのかもしれない、と。
ネットという異世界に入ってしまえば、自分の意志で自分の楽しいと思えるところにアクセスできる。現実世界ではさえなくても、ネットの世界では才能を開花させている人もいるだろう。
ネット世界で既に心地良いコミュニティがあれば、生身の人間との付き合いは適当に、ネット世界でディープな会話をすれば確実に楽しい。ネット世界に入れば、自分の思い通りになって、かつ楽しいと感じられる可能性が格段に上がるのであるから、わざわざ「つまらない」という不純物が含まれた不確実な現実を相手にする必要もない。
我ながら、人間関係での不満を肴に過激な妄想をしてしまった。しかし、新しい対人コミュニケーションの形が出来上がりつつあるというのは、案外外れていないと思う。
テレワーク化も進み、一人の時間が増えてきた。最近は一人の過ごし方を説く書籍もある。今後は一人の時間と複数人で共有する時間の関係性が注目されるだろう。
ネット世界より面白い人間になれる自信は毛頭ない。であれば、私も考え方を改めて、新しい対人コミュニケーションを受け入れていかねばなるまい。
さて、Twitterアプリをインストールしなければ。