卒業旅行の行き先は和歌山だった。
感染症が流行りだして、旅行に行きづらい時期である。
それでも同居していた社会人の知人は、
「大学生には思い出が必要だから」
と言って休みを取って、私が行きたがった白浜の旅館を予約してくれた。
「ずっと成績一番で居続けるために、4年間沢山我慢してきたでしょう」
この言葉が旅行をする決め手だった。
二人で行った、最初で最後の旅行だった。

研究のために生きた4年。そんな学生時代に華を添えてくれた知人

ほとんど貸切状態の電車は、とても快適だった。車窓から見える冬の海のきらめきが、とても美しい真昼間である。うとうととまどろむ知人と海を眺めながら、大学の4年間を思った。

大好きな文学研究のためだけに生きた4年間だったと思う。周りのキラキラした女子大生たちの暮らしとはかけ離れた、研究を最優先にした学生だった私。友達も少なかったし、コンパや飲み会になど、一度も誘われたことがないまま卒業する。
そんな私の学生時代に華を添えてくれた知人の寝顔が美しくて、涙が出た。

静かに泣きながら、電車に揺られて水平線を眺める。雄大な太平洋は、午後の陽光を浴びながら凪いでいる。本当は、研究も大好きだけれど、たまにこうやって出かける時間が欲しかったのだとやっと気付いた。私も周りの学生たちのように、もっと遊んだり旅行へ出かけたりしたかったのだ。

そのとき、知人が眠りと目覚めの狭間のような声音で、
「今日と明日は最高に楽しい日にしようね」
と言った。この人が本当に本当に好きだと思った。

到着した宿ではパンダのぬいぐるみが待っていた。私が旅先の宿を選んだ一番の理由がこれである。
偶然見つけた旅行サイトの写真に心惹かれた。夕暮れの客室の窓際に、パンダのぬいぐるみが置いてあったのだ。そのなんとも哀愁溢れるパンダの背中に心を掴まれたわけである。感染症が流行り、客足が途絶え、「お客さん来ないなぁ」と寂しがっている(ように見える)パンダさんを、ぜひ救いたいと強く思ったのだ。

日暮れ前の砂浜を知人と歩く。この時間が永遠に続いてほしかった

プランを見てみると、パンダ(のぬいぐるみ)と泊まれるうえに、帰るときは一緒に連れて帰れるシステムだと説明があった。しかも夕食と朝食がたいへん美味しそうなうえに、旅館からビーチまでの距離は徒歩30秒である。
素敵すぎて、光の速さで「私ここに泊まる!!!!」と宣言した。知人は笑ってその宿を取ってくれた。

いざ靴を脱いで上がったお部屋はとてつもなく広かった。一番上質なお部屋を取ってくれたらしい。二人で過ごすには広すぎる部屋で、パンダはお茶請けのお菓子を並べて待っていた。
ハイテンションでパンダと戯れる私のことを、知人は慈愛にあふれた様子で見守っていてくれた。今まで誰もそんなふうに接してくれる人がいなかったから、嬉しいのにまた泣きそうになってしまった。パンダを置いて知人を抱きしめ、「ありがとう」と言ったら、私よりも知人の方が泣きそうになっていた。

荷物を置いて、日暮れ前の砂浜を散歩する。旅館から海までの距離が本当に徒歩30秒だったことに笑いあい、透徹した海の碧さと砂浜の白さに二人で感動した。天国のような空間だと思った。
この瞬間が永遠に続けばいいのに、と思いながら、水平線に溶ける夕日を眺める。静かに風が吹いて、波音がやわらかに響いた。

「しあわせ」
と呟いたら、知人も「しあわせ」と笑ってくれた。どこまでも優しくて私にしあわせをくれるこのひとが、ずっとしあわせでいてほしいと心から思った。このしあわせな夢の終わりがいつまでも来なければよいのにと強く願った。

「また」は永遠に来ない気がする。旅は私にとって現実逃避だ

庭園のイルミネーションが美しく見える席で素晴らしい懐石料理を堪能し、温泉に浸かったあとは、地ビールで月見酒をした。朝が来たら帰らなければいけないのが寂しくて、永遠に夜の中に留まろうと、眠らず起き続けていようと試みた。その私の幼稚な試みを見抜いた知人は、
「また来ればいいんだよ、眠くなったらちゃんと寝ようね」
と優しく笑って言ってくれた。けれどその「また」は永遠に来ない気がして、私は知人が寝てしまったあともずっと寝付けなかった。波音を聴きながら、月明かりに照らされて眠る知人をずっと見ていた。

朝の日を浴びて白い砂浜を散歩する。
朝食後に温泉に入ったあと、パンダと荷物はフロントに預けた。呼んだタクシーがずっと来なければよいのにと思いながら、知人の手をぎゅっと握って冬の海辺をゆっくりと歩く。
青い。空も海も、とても青い。寺山修司の詩を思い出す。

「さみしいときは 青 という字を書いていると落着くのです
 青 青 青 青 青 青 青 青 青
 青 青 青 青 青 青 青 青 青」

さみしい。とてもさみしい。知人はこんなにも近くにいるのに。
「いおさん、君のさみしさはどうしたら消えるだろうか」
ふいに知人がそう言った。
「あなたがいないとき、私はずっとさみしくありたい」
答えになっていない返答しかできなかった私を、知人は静かに抱きしめた。この旅という夢が終わっても大丈夫な気が、なんだかしたのだった。

旅は私にとって現実からの逃避で、さみしさを感じながらも生きる気力を養う大切なことである。今回知人と出かけた卒業旅行でそう思った。
夢が終わっても大丈夫。また現実世界で生きていける。そして現実に疲れたら、また旅に出て短い夢を見るのだ。