私にとって、クリスマスはそんなにいいものではない。きらきらと輝く街並みの中を、私はいつもどんよりとした心と一緒に歩いているのだ。

部活と塾に制圧されていた日々で、クリスマスはひとり孤独に頑張る日

私が中学生だったころ、私のクリスマスは「みんなが楽しんでいる中、ひとり孤独に頑張る日」だった。当時の私の毎日は、部活と塾に制圧されていた。
朝から夜まで続く部活。そして、電車に乗って行く塾。そこそこ強豪だった部活に休みなどない。
そして、通っていた進学塾では、いかに自分の能力が足りていないかを痛いほど思い知らされる。私の通っていた中学校では、大体24日くらいからいつも冬休みが始まる。それと共に部活の練習は厳しくなり、また、塾の冬期講習も始まる。
「クリスマスなんて、来なければいいのに」
クリスマスが楽しみでない私は12月になると、いつもそう思っていた。

私にも、クリスマスが楽しみだった時期はある。私が小さい頃はサンタさんが来て、25日の朝になると、枕元にプレゼントが置いてあったものだ。
それがどうだ。
その頃、クリスマスを一緒に過ごすのは部活の仲間。そして、クリスマスのイルミネーションを一緒に見るのは、同じ塾に通う友達だ。ロマンチックなことなんて、ひとつもない。
朝から部活の練習をして、そのまま塾に直行する生活。イルミネーションなど見るころにはもう疲れ果てていて、正直、どんな夜景だったのかも覚えていない。
そうこうしているうちに気が付けば26日になっていて、楽しく遊んだり、どこかに出かけたりしたという人の話を聞いて、「そういえば、もうクリスマスは過ぎちゃったんだ……」となんとなくで過ごしていた。

普段は無為に眺めるライトアップが心に刺激を与え、涙が出てくる

しかし、あの日は違った。高校受験が迫る中学3年生の12月。
私はまだ部活を引退していなかった。そのくせ、県内一の進学校を受験しようとしていた。
いつもなら、無為に眺めて帰るいつもの道。あの日、私は目に涙を溜めながらライトアップされた建物を見ていた。
それは、失恋でも、なにか悲しいことがあったわけでもない。クリスマスできらきらと輝く街並みが、私の心に刺激を与え、訳もなく涙が出てきたのだ。
今考えると、精神的な限界を迎えていたのだと思う。華やかに飾られた建物を見て、いつもボロボロの学校指定ジャージを着ている自分と比べてしまった。
「モノでさえあんなに輝いているのに、私はなんてみすぼらしいんだ……」
そう思った瞬間、私は怒りのようなものを覚え、全てに腹が立ってきた。
勉強を強制させられる教育機関。
勉強が全てだと思っていた親。
そして、こんな時期まで部活を続けることにしてしまった過去の自分。
世間のお祝いムードから、自分だけが取り残されてしまったような、自分だけがこの広い世界でひとりぼっちでいるような、そんな感覚に陥ってしまったのだ。

クリスマスを楽しみたくて、毎年あの日のことを忘れようと必死になる

今になって、当時のことを冷静に振り返ると、自分が相当追い詰められていたことがわかる。そこまでして得られたものは何かと問われても、正直答えは見つからない。ただ、あの頃の苦い思い出がよみがえってくるだけだ。

その後、私は無事に希望していた高校に進学し、クリスマスを友達と楽しむようになった。つらい出来事を思い出してしまうこの日の楽しみ方は、今でも分からない。
ひとりぼっちを感じるのが怖いのだ。私はクリスマスが来ると、とてもドキドキする。「今年も平和に過ごせますように」そう願いながら、一日を過ごす。クリスマスを楽しく過ごすために、私は毎年、あの日のことを忘れようと必死になっているのだ。

いつか、私もクリスマスを楽しく過ごせる日が来るだろうか。

今年もクリスマスが近づいている。今年はコロナの影響もあり特に予定はないけれど、必死に頑張っていたあの頃に思いをはせて過ごすだろう。結局は、あの苦い思い出も、私を構成する一部分なのかもしれない。