いつも強く「海外に」と願っても、同級生たちにどんどん先を越されて

スナフキンに憧れて、小さい頃からずっと旅人になることが夢だった。
とんがり帽子に長いマントを着て、どこかで見つけた枝を咥えながら、ふらふらと放浪の旅をする。その夢は、それから浮かんでいった様々な夢と絡まり合いながら、ずっと私の中で温められ続けていた。
大学生の時にはより具体的に「飛行機を乗り回して、世界中の色んなところへ行き、仕事の関係で長期滞在するような生活がしたい」となった。常に心の中で、この海を越えて世界を見てみたいと、強く願い続けていた。

でも海外を旅するには、多くの費用がかかる。10代のうちに世界を見た方がいい、と色んな本に書いてあるし、小中高と夏休みの海外研修というものもあったけれど、両親は首を縦に振ってくれることはなかった。
だからいつも強く海外に行きたいと願っている私よりも、同級生たちにどんどん先を越されてゆき、悔しくてもどかしくて、しょうがなかった。

留学生活の意味を自問するけれど、いつか誰かの何かの役に立てれば

ようやく初めて海外を旅したのは、2018年の夏、24歳の時だった。
初めての旅はたった1週間だけのスイスの旅だったけれど、あの時の強烈で鮮明なヨーロッパ体験は、今でも宝物の様に心の中に残っている。帰国してから作ったアルバムは、何度見ても思わず笑みが溢れてしまうほど、美しくて楽しい記憶である。

その後は2019年2月から4月の、ドイツ・フライブルクでの語学修行と受験準備の旅。そして同年秋からのスイス・ルツェルンでの大学院生活。
コロナ禍が始まってからは、本当に大変な生活になって、心の病気にもなってしまったから、2021年の2月からは休学し、2022年の1月には完全に中途退学する予定になっている。
やや悔いの残る終幕となったけれど、それでもヨーロッパと日本を行ったり来たりの、怒涛の4年間だった。
おかげでずいぶん、空の旅や外国でのトランジットにも慣れた。なんせコロナ禍での最後の帰国では、シンガポールのチャンギ空港で33時間のトランジットを経験しているのだ。もはや今後これ以上の大変な目に遭うことは、きっとないだろう。

心の病気のせいで、留学生活が果たして私の人生に意味があったのかと自問してしまうことがある。今はまだ心が弱っていて、あの経験が「この先の人生において素晴らしい糧なるだろう」なんて思うことはできないけれど、いつか誰かの何かの役に立つと良いと思う。
飛行機のチケットを航空会社から安く買ったり、ホテルだって自分で選んで予約できる。ドイツ語は話せるし、英語もある程度は分かる。
だからいつか、両親が旅行に行きたいと言った時や、姪や甥などが留学したい言った時の手伝いならばできるだろう。

7大陸の制覇。小さい頃からずっと私の中に在り続ける、大きな夢

コロナ禍での渡航の恐ろしさにはもう懲り懲りなのだが、コロナも私の病気も落ち着いて生活が安定したら、また旅がしたい。
海外の異なる文化圏で生活することの面白さというのは、本やテレビで知識を入れたとしても、現地に行って体験しなければ本当に理解するのは難しい。4年間の生活で、スイスとドイツの生活は、少しだけしか体験できなかったけれど、それでもヨーロッパが重ねてきた歴史と文化を体感できた。けれど私は、まだ満足してはいない。

地球上の全ての街を行き尽くすには、まだまだ程遠い。世界の1パーセントも達成していないのではないだろうか。北米も南米も、ヨーロッパのまだ行っていない様々な地も、アフリカもアジアも、全然行けていない。
出来ることなら死ぬまでに、7大陸は制覇してしまいたい。それが小さい頃から今でもずっと、私の中に在り続ける大きな夢だからだ。

なぜ、と問われればなぜかは私にもわからない。けれど旅することを夢に見るのは、本当に好きな人のどこが好きなのかわからないように、運命が導くように私を突き動かしている。
コロナが収まって穏やかな世界が戻って来れば、今度こそ健全な精神で全力で世界を旅していきたい。