キリスト教主義の中高一貫校に6年通っていた。
つまり、大々的なクリスマスを6回も過ごした。
学校で行われるクリスマスが、たまらなく嫌だった中高時代
キリスト教のクリスマスは、日本人の感覚からするととても長い。
12月25日だけでなく、その4週間前の日曜日からイブまでを「アドベント」と言い、キリストの誕生をさまざまな用意をして待ち望む。
学内の礼拝堂には身長の3倍くらいあるツリーが飾られ、近くには毎週一本ずつ灯されるろうそく。
教室ごとにアドベントカレンダーが配られ、日直が毎日ひとつずつあけていく。
毎朝の礼拝はキリストの誕生についてをくりかえし説教し、アドベントにふさわしい内容の賛美歌を歌う。
クリスマス当日近くのある日は、丸一日礼拝堂に籠もり、「クリスマスページェント」と呼ばれる、イエスの誕生までの物語を生徒が演じる劇を見て、何度も賛美歌を歌う。
これらの説明を何も見ずにできるくらいには、本格的なキリスト教主義のもとで過ごしてきた。
私は、卒業したこの学校に行きたかったわけではなかった。ただ公立の中高一貫校に落ちたから来た、それだけだった。
県内に私立の中高一貫校は二校しかなくて、その両方がキリスト教主義。
志望校との明確な違いであったキリスト教の大きな特徴であるクリスマスを、私は毛嫌いしていた。
望んだ公立中高一貫校へ行けなかったことを再認識させてくるクリスマス
同級生には洗礼を受けたクリスチャンもいたが、寺の息子もいた。信仰を強制されるといったことは一切なかったが、生徒指導もキリスト教の教義にのっとった形で行われることに、辟易していた。
毎朝礼拝があり、週一回キリスト教の授業があってテストもあるという学校生活は、思っていたものと違いすぎた。
その違いの最たるものがクリスマスだっただけ。
クリスマスは、望んだ公立校へ行けなかったことを再確認させてくるような期間でしかなかった。
クリスマスツリーが校内のあちらこちらにあり、すべての教室にアドベントカレンダー。毎朝の礼拝はクリスマスソングとしても知られる賛美歌を歌い、イエスの誕生と受難を滔々と説かれる。
私にとってクリスマスは、コンプレックスを具現化したものだった
かなりしんどかった。
大きなクリスマスツリーを見ながら大勢で賛美歌を歌う礼拝堂での礼拝がある日は、かなりの頻度で休んだ。
クリスマスページェントも、中学時代はズル休みをして一回しか見ていない。
「お前の望んだものとの違いを見せつけてやる」という声が聴こえそうなくらいに迫ってくるクリスマスが、嫌いだった。
コンプレックスの、明確な形。具現化。それが、クリスマス。
大学は徹底的にキリスト教主義の学校をはじいた。
塾から提示された第二志望の妥当ライン校はすべてキリスト教主義だったから、ランクをひとつ落として別の大学を受験した。結局は第三志望の大学しか受からなかったが。
現在通っているその大学は、キリスト教ではなく別の宗教だ。
ツリーを見ることのない生活は、私を安定させた。
いつか私も恋人ができて、クリスマスをともに過ごしたいと思えるだろうか。
クリスマスへの忌避感は段々と薄れてきた。
でもまだ、街中にあるツリーを写真に撮ってインスタに載せて……ということはできない。
いつかの未来、笑って「クリスマスツリーがコンプレックスだったんだ」と言えることを願う。