サンタクロースは本当に存在するか。実を言うと、子どもの頃の私は本気で信じていた。
サンタクロースが北極圏からそりに乗って、自分の家までプレゼントを届けに来ているとわりと本気で思っていた。サンタクロース宛ての手紙に「一緒にそりに乗ってプレゼントを配るお手伝いがしたいです」なんて書いたこともある。
両親は覚えているかわからないが、私自身は毎年クリスマスが来るたびにふと思い出す。

中学生になるとだんだんとサンタクロースに手紙を書かなくなり、いつの間にかサンタクロースの方も来なくなった。それでも中学・高校時代のクリスマスが楽しかったのは、学校のおかげだと思う。

たとえサンタクロースが来なくても、十分楽しかった中高の学校生活

私が通っていたのはキリスト教系の女子校だったので、クリスマスは一大イベントだった。
アドベントになれば各クラスの教室の壁にはアドベントカレンダーが、ドアには個性溢れるリースが飾られた。教員室前など校内のいくつかの場所には、クリスマスツリーやイエス誕生のオブジェが置かれた。
礼拝を行うホールにはキャンドルが飾られて、毎週1本ずつ火が灯された。学期末には校内で合唱コンクールを開催し、クリスマスにまつわる讃美歌を各クラスで歌う。クリスマス礼拝もあり、コンクールで歌った課題曲を今度はみんなで歌ったり、あの有名なハレルヤを歌ったりと、音楽と外国文化が大好きな私には夢のような時間であった。
たとえサンタクロースが来なくたって十分すぎるほど楽しかった。

高校を卒業してからのクリスマスは物足りない。キリスト教系の女子校という少し特殊な空間で6年間も過ごしていたせいか、クリスマスの楽しむ他の方法がよくわからないのだ。アドベントに入っても浮かれることもなくなったし、むしろ早くクリスマスが過ぎ去ってくれとまで思ってしまう。

友人たちと集まってクリスマスパーティーをしたり、クリスマスマーケットへ出かけたこともあったが、やっぱりどこか物足りない。イルミネーションで街が華やぐのを見るのも、シュトレンを食べるのも、クリスマスマーケットに出向くのも好きだが、寒さも相まってかどこか寂しくもなる。

弾丸で向かったサンタクロース村で、夢見ていた存在に会えたとき

そんな風に憂鬱に感じていたクリスマスシーズンを、イルミネーションの光を灯すように再び楽しく思えるようにしてくれたのは、やはりサンタクロースだった。

私は大学4年生のときにフィンランドのオウルへ3週間ほど短期留学をした。その期間中にせっかくフィンランドまで来たのだからと、急遽ロヴァニエミへの弾丸旅行を詰め込んだ。話には聞いていて、いつか行ってみたいと思っていたサンタクロース村を訪れるのが目的である。

座席番号を探すのに難儀しつつも特急列車とバスを乗り継ぎ、念願のサンタクロース村へ辿り着いた。北極圏に入る北緯66度33分の線を超えて、ついに私は幼少期に夢見ていたサンタクロースに会うことができたのである。
ここにいるサンタクロースが本当にそりに乗ってフィンランドから日本までプレゼントを届けにくるかはさておき、この地球上の北極圏にサンタクロースは本当に存在したのだ。

キラキラ輝く思い出もあるけど、やっぱり私のクリスマスに必要な存在

その後何年か経った今でも、写真の受け取りのために登録したメールアドレス宛てにサンタクロース村のエルフからメールが届く。「クリスマスまであと何ヶ月、プレゼントの用意はできた?」といった内容である。
子どもの頃には私から手紙を書いていたが、今度は向こうから便りをくれる。不思議な感じがする。

サンタクロースのいない中学・高校時代のクリスマスの思い出も、綺麗な箱の中で今もキラキラと輝いている。それでもやっぱり私にとってのクリスマスには、サンタクロースの存在が不可欠である。