クリスマスと言えば、どんな一日を想像するだろうか。家族や友人、恋人など大切な人達と過ごす時間だろうか。ごちそうやケーキみたいな特別な食卓もあるだろう。
私もそれまで家族や友人と過ごすクリスマスを何回も経験してきたが、その年は違った。
家族も友人もケーキも出てこないクリスマスだ。

クリスマスに就職活動中の私と、輝く街と人々が対照的で涙が溢れる

その年、私は大学3年生だったので、クリスマスだというのに就職活動のために合同説明会に行った。
会場は美しいホテルの宴会場だった。早朝に自宅を出て電車に乗る。節約を考えたら、タクシーを利用するなんて考えられなかった。
冷たい風に吹かれながらやっとの思いで到着すると、フロントには家族連れやカップル、友達との食事を楽しむ人々でいっぱいだった。最寄り駅からの道もイルミネーションとツリーで輝いていた。
そんな中で、着慣れないリクルートスーツに身を包み、パンプスによる靴擦れをかばいながら一人歩く自分があまりに対照的で、みじめに思えた。
日が暮れて、疲労困憊で会場を後にした時にはあまりの痛みと寒さに涙が溢れた。「こんな日に、私は何をやってるんだろう」という空しい気持ちでいっぱいだった。
身体も心も寒くてたまらず、とにかく温かいものが食べたくて、偶然目に留まったベトナム料理屋に入った。スープを飲んで一息つくと、また涙が溢れた。

クリスマスを諦めてまで、あの説明会に行く必要があったのか

結局そのあとすぐに推しの主演舞台決定のお知らせを見て、自宅に帰るだけのやる気を取り戻したのだけれど、疲れ切った心が元気を取り戻すまでには時間がかかった。温かいお風呂に入っても、心のどこかが冷え切っているようだった。
今思い返せば、クリスマスに家族や友人と過ごすことを諦めてまであの説明会に行く必要があったのか、甚だ疑問だ。リクルートスーツとパンプスという服装は真冬に活動する服装ではないし、合理的ではなかったと思う。
それでも説明会に参加したのは、とにかく何かを犠牲にして苦労しなければ内定は得られないのだと思っていたからだ。そして、それでも就職できる未来が全く見えなくて焦っていた。どうしても志望業界からの内定が欲しくて、少し視野が狭まっていたのだろう。
結局のところ、その説明会を行った業界には就職していない。それでも今、悩みも不安もあるが、充実した日々を過ごしている。なにより家族や友人を想う時間が取れている。あの一日は、一体何だったのだろう。

前向きに捉えれば、自分の価値観を知るための良い経験

就職活動に疲弊していたクリスマスの後、年が明けてからは新型コロナが広まり、親しい人たちと会う機会も減ってしまった。
あの時の必死さは生真面目な私の性格そのものだったけれど、もっと周囲の人達と過ごす時間を大切にすべきだったのかもしれない。あるいは、説明会に参加するにしても、夕食を家族と食べるためにタイミングを見て途中で帰ったって良かったのだ。
就職先を得たいという気持ちばかりが急いて、自分の大切にしたいものをまだ分かっていなかったから、空しくて仕方がなかった。自己分析が大切、とはよく言ったものだ。前向きに捉えれば、この話は自分の価値観を知るための良い経験だったと言えるだろう。
心穏やかに、大切な人たちと過ごす時間を欠かさないこと。それが私の持つ重要な価値観の一つだったとやっと気づくことができた。

さて、今年のクリスマスは友人と会う予定だ。新型コロナはまだまだ油断ならないが、それでも会いたいと思う。
とびきりのおしゃれをして、沢山話をして、楽しい時間を過ごそう。将来のためにがむしゃらになるのもいいけれど、次のクリスマスが本当にやってくるかどうかなんて誰にも分からない。
今この瞬間を大切に楽しんで生きることも私の人生には必要だ。楽しいことを積み上げて、いつか死ぬときには幸せな思い出を抱えて逝きたいと思う。