一人暮らし。
それは、未成年や実家暮らしをしている人にとって、とても甘美な響きに聞こえるだろう。
何時に寝ても起きても、何をどんな時間に食べても、何時に帰ってこようとも、誰からも文句を言われないのである。
夜な夜なゲームをしていても、おかしだけで一日の食事を終えても、誰も咎めない。
好きな洗剤を使って洗濯したり、好きなインテリアに囲まれたり、正真正銘の自分だけの城を持てる。
実家を出ることを夢見て、チラシの間取りを眺め、未来に思いを馳せる
お世辞にも、母と折り合いが良くなかったわたしは、いつか実家を出ることを夢見ていた。
週末は新聞に折り込まれている、住宅系のチラシの間取りを眺め、未来に思いを馳せる。
挙句の果てには、自分で理想の間取りを書いてしまうほどだった。
堪忍袋の緒が切れて、家を飛び出したのは19歳の秋。数カ月後には20歳の誕生日を控えた頃の話だった。
高校を卒業した後、公務員試験の就職浪人をし、あっけなく不合格を食らったわたしは民間企業に就職した。
社会人になったわたしは、コツコツをお金を貯めていた。
しかし、社会人になるということは、それなりに会社の人との付き合いが増えるということ。
毎晩帰りが遅くなるたびに、母との衝突は耐えなかった。
そんな諍いが続き、わたしはとうとうしびれを切らして家を飛び出たのだった。
まずはシェアハウス。予算的にもアパートを借りることや家具を用意することが難しく、仮住まいとしてその家に住んでいた。
わたしの城を叶えたはずなのに味気なく、寂しさは増すばかり
数カ月後、持病の悪化に伴って実家に戻ることになったのだが、その数カ月後に結局母と折り合いがつかずに家を出た。
ここから、本当の意味での一人暮らしが始まった。
かわいい床の色や白を基調とした内装は、夢に見たわたしの城を叶えるのには十分だった。
一人で暮らしの準備をするのは、なかなか骨が折れる作業だった。
ベッドが入居当日に届かなかったり、電子レンジのワット数を間違えたり。
それでも、そんなトラブルでさえ楽しいと思えた。
好きな時間に帰ってきて。簡単な食事を済ませて。
休みの日は友達を呼んで。深夜近くまで話していたこともあった。
だが、そんな日々も、いつしか味気ないと思うようになってきたのだった。
クタクタになって帰ってくる家。「おかえり」が帰ってくることがなく、真っ暗でひんやりとした、静けさだけが満ちている。
わたしを出迎えてくれるのは、暖かい夕食の香りではなく、むっとする建材の臭いだけだった。
帰宅した後は、パソコンで動画を流しながら、機械的にご飯を食べる。
「今日こんなことがあってね」「休みの日は何しようかなぁ」
そんな他愛もない会話もする相手もいない。
あんなにも望んでいた一人暮らしが、寂しいと感じるようになってしまったのだった。
最初は、ホームシックかな、と思っていた。
だけど、寂しさは増すばかりだった。
誰かと暮らすことは、わたしにとっては実は重要なことだと気づいてしまったのだった。
一人暮らしを経験したからこそ見つけた、違う視点や家族の大切さ
そんな時、タイミング良く今の彼と付き合うことになった。
二人で過ごす時間は日々の寂しさを忘れるぐらい楽しくて、一人暮らしの寂しい家に帰りたくなくて、自然と彼の家に泊まることが多くなる。
わたしたちが一緒に住むようになるまで、時間はそんなにかからなかった。
今も彼と二人で暮らしているが、一人暮らしをしなかったら、誰かと一緒に暮らすことにこんなにも意味があるなんて気が付かなかった。
おはよう・おやすみを言える相手がいること。誰かを思って、家や洋服を清潔にすることや、暖かいご飯を用意して待っていること。
辛い時やモヤモヤした時に、話す相手が側にいるということ。
家族と離れて暮らすようになってから、家族の大切さもわかるようになった。
当たり前だと思っていたことや誰かと暮らす煩わしさも、一人暮らしを経験したからこそ違う視点で見ることができるようになった。
もう、一人暮らしに戻ることはないと思うが、一人暮らしを経験できてよかったと思う。
これからも心地よい暮らしを続けていくためには、お互いを思いやる心も大切だ。
今日も帰ってくる人のために、丁寧に暮らしを整えていく。