社会人6年目。仕事にも慣れて、結婚もして、なんとなく毎日が過ぎ去っていく。
大好きだったクリスマスでさえ、特別じゃなくなったのはいつからだろう。
特別な日に、どうでもいい話で笑い合っていたあのころ
大学生の頃は、親友のKちゃんとよく一緒にクリスマスを過ごした。
Kちゃんの実家で、買い込んだ駄菓子とお酒を片手に恋の悩みやサークルでの出来事、バイト先で出会った嫌な奴のエピソードなど夜な夜な話をした。
どこにも出かけないから、ジャージにすっぴん。お酒がなくなると、夜中にトナカイの耳をつけたまま自転車で爆走して、近くのスーパーでお酒を買いに行った。
酔いが回ると、何回でも笑ってしまう高校の部活での失敗談とか、ふたりで行った旅行の話とか、いつでも話せることを話して、永遠に笑っていた。
クリスマスという特別な日に、どうでもよくてしょうもない話をすることが逆に特別だったのかもしれない。そして、「あ~。もう一年終わっちゃうなあ。来年も一緒におるかな?笑」というような会話でクリスマス会は締めくくられた。
キリストの誕生を祝うどころか、日々の愚痴を消化して過去の失敗を笑い、来年に思いを馳せるという二人独自のクリスマス会だった。
いつの間にか、クリスマスは楽しみでなくなっていた
社会人になってからの6年間、わたしとKちゃんがクリスマスを一緒に過ごすことはなかった。お互いに恋人がいたり、仕事が忙しかったりしてわざわざクリスマスに会う約束はしなかった。そして、わたしのなかでいつの間にかクリスマスは楽しみではなくなっていた。
Kちゃんとの関係はぜんぜん変わらないけれど、もうクリスマスを一緒に過ごす機会がないことを残念に思う。
わたしは結婚して首都圏に引っ越ししたし、Kちゃんも今年プロポーズを受けたから、住む場所も離れてお互いに家庭を持つことになる。これからは旦那さんと一緒に過ごすだろうし、子供ができたら子供のためのクリスマスになるだろう。
6年間でわたしはだいぶ変わったように思う。
毎日がとても早くて、明日の仕事のことを考えたり、週末の過ごし方を考えたり、連休の予定を立てたり、そうやって毎日が過ぎていく……。誕生日やクリスマス、お正月だって、気付けばなんとなく過ぎ去っている。そんな自分の日常を寂しく思ったりもする。
子供の頃のクリスマスは、プレゼントをもらって豪華な料理やケーキを食べて、学校も休みでその次にはお正月があって本当に大好きな日だった。待ち遠しかった。
大学生の頃も、12月になるとKちゃんとクリスマスに遊べるかを確認して約束を取り付けて、何を食べるか、何を飲むか、酔っぱらってしゃべり倒すのを楽しみに過ごしていた。
「なんとなく」時間が過ぎていたのではなくて、そこに向かって過ごしていた気がする。
物足りない毎日を特別な日に変えるのが、クリスマス
別に、今が嫌なわけじゃない。大きな悩みがあるわけでもないし、辛いことがあるわけでもない。頼れる人たちがいて、家族がいて、生活ができていて幸せなことだと思っている。
でも、「特別な日」があったあの頃に比べると、少し物足りなさを感じるのも正直なところ。
「クリスマス」を特別にしてくれていたのは、家族やKちゃんのおかげだった。今思えば、昔から自分や自分の生活に対してどこか「物足りなさ」を感じていた気がする。物足りない毎日が特別な日に変わるのがクリスマスだった。
年齢を重ねるごとに、仕事や人との付き合いが増えたり、将来のことを考えたりと毎日が充実しているように思うが、わたしはまだ「物足りなさ」を感じたままだ。
家族やKちゃんと過ごした「クリスマス」のように、今年からは自分で日常から頭一つ抜けた特別な日を作りたいと思う。
今年のクリスマスは土曜日。きっといい一日になるはずだ。