街を行き交う人々の口元を覆うマスクが、まるでサンタの白いひげのように見える。そう思えるほどに季節はクリスマスへと向かっていく。
今年も、去年と同じく自宅で過ごすことに決まった。しかし一人ではない。知り合いの牧師とオンラインパーティーをする。

毒親にかけられた呪い。牧師は親身になって話を聞いてくれた

毒親な実母の毒にあてられて居心地を悪くした私は、実母と話すことすら苦痛だった。コロナが流行る前から、実母からの着信を拒否した。
だが、実母の呪いがなくなることはない。事あるごとに、自由な生き方を肯定する現代には時代遅れな決めつけを突きつける実母の姿が脳裏に浮かぶ。きっとクリスマスに一人で過ごすことにも文句をつけるはずだ。
恋人もいない。一人きりで過ごすクリスマスに、どこか焦りを感じていた。「クリスマスは家族で過ごすべきなのに独り身だなんてみじめだ」と実母が言いそうなことを想像してしまう。

そんな、コロナが流行る直前のクリスマスのことだった。
ご縁があって知り合った女性の牧師から手紙が届いた。クリスマスパーティーを行うので、もし都合が良ければ来てほしい、と。
もちろん会場は教会。教会で過ごすクリスマスとは本格的なものだ、と期待に胸を躍らせる。仕事帰りに行ってみようと、その日は定時で仕事を切り上げた。

皆さんがイメージしているであろう、厳かで年季の入った建物ではない。保育園も兼ねた、天井が低いモダンな建物。そこで保育園の先生もしている牧師の元に、数人の信者や近所に住む独り身の高齢の方々が集まっていた。この日はクリスマス集会として、ミサと食事会が催された。
書き忘れていたが、私はキリスト教に入信しているわけではない。
だが、神にすがりたい気持ちがあり、時折教会の礼拝に訪れた。居心地の悪い実家や、安定しない派遣社員の仕事に対する不安で押し潰されそうな私を、牧師は親身になって話を聞いてくれた。自分にとって、第二の母のような存在だった。

「幸せな夜を過ごせたら、それが正解です」牧師の言葉に心動いた

クリスマス集会には、信者の親子の他にも夫に先立たれた高齢の女性も参加していた。でも、彼女もきっと心の中では夫と共にクリスマスを祝っていることだろう。そう思うと、自分がみじめに思えてきた。
私はそのことを牧師に伝えた。
「彼氏は作りたくないですけど、実家には帰りたくありません。家族で過ごさなければならないのが苦痛です」

すると、牧師はこう答えた。
「大丈夫です。今この間の私たちは、同じ神から生まれた家族です。この日、自分にとって幸せな夜を過ごせられれば、それがあなたの選んだ正解です」

優しく語りかけるように答えてくださった牧師の言葉に、胸がぎゅっと苦しくなった。つらいからじゃない。赦されたような気持ちになったからだ。

私を救ったのは、牧師の言葉だった

私は信仰心はないが、誰かから赦されたい思いがあった。
自分の持つ発達障害による心の疲れやすさ、コミュニケーション能力が欠如していることなどを認められたいという思いは、心のどこかで傲慢ではないかと無意識に押し殺していた。

もちろん、母からの呪いによって自分は人間として出来損ないと思い込まされたせいもある。
しかし、障害者手帳を取得しても仲良くしてくれる友人たち。こうして私を迎え入れてくれる牧師。こうして居場所を見つけられている。
私の思いは決して傲慢ではなく願いで、その願いを受け入れてくれる人がいる。

イエスは心の貧しい人、悲しむ人を救うために生まれたと言われている。もしかすると私はイエスに救われたのかもしれない。しかし私を救ったのは、牧師の言葉であることは確かだ。
大切な人からの愛が、私にとって最高のクリスマスプレゼントだった。