一人暮らしを始めて、3年半が経った。
だけど、実家を離れて暮らすきっかけは、わたしの意思ではなかった。
定年を2019年に迎えることになっていた父が、愛知県にわざわざ留まる必要がなくなったからだ。
母に「こっちにいてよ」と涙ながらに訴えたけれど、腹を括った
もともと父は転勤を伴う仕事に就いていた。
県を跨いでの引越しは、2回。中2で愛知県に来てからは、県内で2回。合計4回の引越しを経験した。
もう10年以上住んでいる愛知県も、両親にとっては働くために住む場所という認識でしかなかったんだと思う。だから、両親は父の生まれ故郷であり、持ち家もある東北に帰ると決めていた。
わたしには人生の中で一番長く住んでいたこともあり、少ないとはいえ友達も1番多くいる大事な場所だった。ついて行くという決断はできなかった。
こうして両親が決断したと同時に、わたしの住む家がなくなることが決定した。
正直な気持ちをいうと、しんどかった。
叶わないとはわかっていながらも、母に「こっちにいてよ」と涙ながらに訴えたこともある。
決まったからにはもう腹を括るしかなかったわたしは、父の定年前の2018年から一人暮らしを始めた。
住む場所はもともと名古屋中心で考えていたが、親が住んでいる街にした。
理由は、家賃に対しての部屋の広さ・駐車場の有無・駅の近さなどを考慮した結果、良い部屋が見つかったのもあるし、何かあった時にお互いがそばにいれば安心だと考えたからだ。
父もなんだかんだ言って嬉しそうだったと、母から後で聞いた。
最後の日。なんにもない部屋で、吉牛の牛丼を家族3人で頬張った
一人暮らしは実際に始まってみると、予想以上に大変だった。
仕事はシフト制で不規則な生活が待っている。
食事、洗濯、掃除などの家事も自分でやらなくてはいけない。
遅番からの早番は地獄でしかなかった。
帰って着替えてご飯食べて、お風呂入って寝る。その繰り返しだった。母がそれに対応してくれていたことに感謝しかなかった。
もともと一人っ子だったということもあり、一人でいることに苦はなかった。
むしろ、休みの日には起こされることもなく、自分の好きな時間に起きて、過ごせるのが気楽であると感じることも多かった。
ただ、自分の気持ちに余裕がない時もある。
「ただいま」と呟いても、何も返ってこない我が家は寂しかった。
帰ったら誰かがいるということは幸せなんだと思った。
繁忙期でどうしてもしんどい時は、甘えられるうちにと実家に帰ったりもした。
そのままどうにかこうにか仕事との両立も出来るようになった1年後、親は東北に行った。
最後の日になんにもない部屋で、家の近くにあった吉牛の牛丼を家族3人で頬張ったことは一生忘れないだろうな。
行きつけの美容院や、繰り返し行きたいと思うカフェも見つかった
あえて新しい土地に行かず、地元で一人暮らしをしたことで良いこともあった。
学生時代は地元で遊ばず、都会に行って遊ぶことが多かった。親と出かけるときも県外ばかりで、地元で過ごした時間は少なかった。
だから、10年以上住んでいるとは言っても、生まれた場所ではないということも無意識にあってか地元に興味もなかったし、思い入れも特になかった。
けれど、一人暮らしを始めて自分の家の周りを散歩したり、買い出しついでに運転をしていると「こんなカフェがあったんだ!」「ここのお店気になる!」と新しい発見があったのだ。
実際に足を運んでみて、都会とは違ったまったりと落ち着く空間や人柄、時間の流れなどを味わう楽しみを見いだせた。
何年も定まらずにふらふらしていた美容院も、地元で素敵な美容院を見つけて、初めて行きつけの美容院というものが出来た。繰り返し行きたいと思うカフェも何カ所か見つけた。不思議なものだ。
今までわたしは何を見ていたのだろう、こんなに魅力がたくさんあったのに。
10年以上も見落としていたのは、損だったなあと思う。
灯台下暗しというのはこういう時に使う言葉なのだろう。
今だからこそ、発見できたのかもしれないけれど。
先日東北に帰省した時は、あちらのオススメのお店に連れて行ってもらったから、今度は両親がいつかこっちに来た時に「こんなお店あるんだよ」と教えてあげられるといいな。
今のところ食べるところしかないから、お腹を鍛えてもらおう。