私の両親はとても厳しい人だ。過保護に過保護を重ねたような家で、私にとって実家は首輪を繋がれた牢屋だった。

小学生の頃の門限は15時半。中学生は17時。高校生は18時。短大生、社会人でも基本18時で遅くとも21時。なぜか部活やバイトは許されたが、帰宅予定時刻を過ぎると電話がかかってくる。
高校、短大は電車通学のため、駅に着いたことや、何時何分発の電車に乗ったかなど、逐一の報告も必須だった。
社会人になるタイミングで実家を出たかったが、案の定許されるはずもなかった。

学生恋愛は禁止され、「別れろ」と言う父と、何もしてくれない母

学生時代は恋愛も禁止だった。「彼氏ができたら教えるんだぞ!応援するからな!」と言う父の言葉を1度だけ信じてしまったことがあった。
中学生の時に彼氏ができ、父に話すと冷やかしを受け、親戚中にバラされた。年頃の私にとって、あまり心地よいものではなかったが、受け入れられないよりはマシだと思っていた。

でも、親戚中にバラしておきながら、父が言ってきた言葉は「別れろ」だった。
学生の頃の恋愛なんて、大したものではないし、良くないことが起きるだけだと。運命ならまた出会えるのだから、今はなにか起きる前に別れろと言うのだ。最終的には、大人の言うことは絶対正しいのだから、お前はただ言われた通りに生きればいいのだと。
「あぁ、この家に私の人権は存在しない」。そう思った。

そんな私の心のすり減りを近くで見ておきながら、母は何もしてくれない人だった。父が怖くて何も言えないのだ。
初めは、何もしてくれない母に嫌気がした。その頃はまだ、母は私を守ってくれる唯一の存在だと期待していたのだろう。次第に期待することを辞めた。私の心がすり減る姿に、居た堪れない顔をする母へ、「お父さんに何も言わなくていい」と自分から告げた。

実家をでる唯一の手段は結婚。夜遅くに外出できることに感動すらした

そんな私が実家をでる唯一の手段は「結婚」だった。
特に焦った訳でもなく、妥協した訳でもなく、22歳で結婚したいと思える人に出会い、23歳で結婚した。
彼をどれだけ気に入ってもらえるかに尽力した。その甲斐もあってか、彼を大変気に入ってくれた。それから1年ほどで良きタイミングが突如やってきた。両親がアタフタしている内に、実家をでることが出来たのだった。

結婚後に夫と夜遅くまで外で過ごした時は、こんな時間に外にいられることに感動すらした。
楽しい時間の終止符は突然やってくるもので、4年後、そんな彼とは別々の人生を歩んでいくこととなった。
離婚の理由は、彼の秘密の借金だった。偶然見つけてしまった借金という事実を、私は実の両親に一言も相談しなかった。両親に伝えた時は、私が離婚の決断を出した後。
もちろん、離婚を決断するまで苦しくてたまらなかった。それでも、両親に頼ることは絶対にしなかった。

離婚し、自分のために生きる生活を。今が一番幸せかもしれない

それが両親にとって、とてもショックだったらしい。そんな辛い時に、全く頼ってもらえない存在だということ。でも、私にとって両親の存在はまさに、誰よりも何も相談できない人であることは間違いなかった。

離婚後、私はどうしても実家に戻りたくなかった。自分の責任で、自分ために時間もお金も使う生活をしたかった。自分のために生きたかった。
ありったけの気持ちと、私の願いを両親に伝えた。すると、「好きなようにしてみたらいい。その代わりに、困ったときには相談すること。相談してもらえる存在になれるようにお父さん達も頑張るから」と。
初めて、私にも親がいたのだと思った。

それから、人生ではじめての一人暮らしがスタート。何もかもが新鮮だった。
相変わらず過保護な両親から、生存確認のLINEが毎日入る。スタンプ1つだけでいいから返信がほしいと言われているため、「おやすみ」のスタンプを毎日返す。
自分の責任で、自分のために使う時間とお金。
これからの生活を思うと不安もある。
寂しいと思うときもある。

それでも、私は一人暮らしをしている今が1番幸せかもしれない。