6月に生まれてきたことを恨むぐらい雨が嫌いだった私はくせ毛だ

昔から、雨の日は嫌いだった。6月に生まれた自分が嫌になる。なんでわざわざ梅雨どきに誕生日やねん、雨なんて好きちゃう。とふてくされながら誕生日を迎えていた気がする。

物心ついた時からうねる前髪。肩まである髪は必ずといっていいほど外側に、元気よく跳ねた。パーマをあてたようなフワフワした癖毛ならまだよかった。毛先たちはわたしの気持ちなど知らず、いつだってあっちを向いたりこっちを向いたり、遊んでばかりいた。

雨の日に限っては決まってその遊びが度を越していた。ただでさえ湿気で髪の毛が額や頬にぺっとりと張り付くのに、少し乾いたとなるとくしゅっと髪の毛が四方を向くものだから、もうお手上げだった。

両親はどっちも癖毛だ。DNAには抗えない、それは仕方ないのだ。ただ私は、自分に自信が持てずにいた。

美容院で「癖がつよいから」と断られた日。絶望で一晩中泣いた

中学時代、いつも一緒にいたわたしの友人は真っ直ぐ伸びた黒髪で、とても綺麗な髪をしていた。太陽の下では天使の輪っかができる。髪の毛一本一本がとにかく細く、何より晴れだろうが雨だろうが関係なく、歩くたびに心地良さそうで、いつでも誇らしげに揺れていた。

私は、私を好きになるために髪の毛をサラサラにしよう。そう決意し美容院に行くと、癖が強すぎるからやめておいたほうがいいと一度家に帰されたことがあった。三日三晩泣き続けた、というのはさすがに冗談だが、家に着くやいなやベットに潜り込み、真っ暗な部屋で一晩中泣いた。

私の髪は、あの子のように風になびくことなんてないのだ。胸の中が真っ黒な何かで染められ、絶望感が全身を駆け巡っていくのが分かった。

ただ、私は諦めなかった。幼稚園からお世話になっていた美容院にさよならをし、新しい美容院を予約した。神に救いを求めるそれと同じ気持ちで。

諦めずに予約した美容院で「ストレートにできるよ」とお兄さんは言った

新しい美容院は、お兄さんが一人で経営していた。ガラス張りで開放感のあるお店なのに、植物がおいてあるからなのだろうか、あたたかみを感じ、自然と初めて来たという感じがしなかった。

長身で細身体型。髪の毛は肩まであり、ゆるパーマをかけていた。有名バンドBのボーカルに顔が似ているお兄さんは、わたしの悩みを打ち明けるなりすぐ、「全然、ストレートにできるよ。」と優しく言ってくれた。

わたしは、内心泣き崩れたい気持ちでいっぱいだった。やっとこの癖毛とさよならできる。期待に胸を膨らませ、心臓が大きく高鳴るのがわかった。
何時間経過したのだろう、お店に入った頃にはまだ明るかったのに、美容院を出る頃には真っ暗だった。
そして生憎の、雨だった。

歩くたびに耳元で揺れる私の髪。私は雨の日と自分を好きになれた

暗がりの中、恐る恐るビニール傘をさし、ゆっくりと歩き始めた。縮毛矯正をかけた髪は真っ直ぐに伸びても肩につくほどの長さだったが、私が歩くたびに耳元でそよそよと揺れているのがわかった。

優しく、優しく、揺れている。決してうねったりしない。私は、込み上がる高揚感を抑えることができなかった。口角が自然に上がるのを感じていた。

ビニール傘に当たるたびポツポツと音をたてる雨粒、水溜りを霞むたびにぴちゃぴちゃと奏でる靴、風が吹くたびに頬に冷たくあたる雨、その全てを一瞬で捉えた。

「雨ってこんなに、心地良かったんだ。」
ビニール傘越しに空を見上げると、街灯に照らされる雨がスパンコールのように見えた。
スパンコールがビニール傘に当たるたび、跳ねて踊る。もう、私の知っている雨ではなかった。

この日を境に、私は雨の日を、そして自分を少しだけ好きになれたのだった。