サンタクロースが来るのは、いい「子」だけではない。
我が家では、お父さんとお母さんの枕元にもプレゼントが置かれていた。

クリスマスの朝、私の枕元にはやっぱりプレゼントがある。
その大きさである程度察しがついて、ちゃんと欲しかったものが入っていることに安堵する頃、ロフトでつながった隣の弟の部屋から包装紙を破くカサカサとした音がする。眠い目をこすりながらプレゼントの中身を確認したら、私は部屋を出る。同時に弟もドアを開ける。行き先は父と母の寝室だ。

家族のプレゼント発表で喜ぶ母を見て、サンタさんの存在を信じていた

まだ寝ている父と母の部屋に入り、「サンタさん来たよ!」と声をかける。
「良かったね、なんだったの?」と笑う母の横にも、まだ目を覚まさない父の横にもそれぞれプレゼントが置かれている。さあ、家族全員でプレゼント発表会だ。
私はゲームボーイアドバンスにもらったばかりのカセットを差し込む。
弟はロボットを変形させたり手で持って飛ばしたりしている。
父のプレゼントは手袋だった。
母のプレゼントは好きなアーティストのアルバム。
「わあ!これほしかったんだよね」。母があまりにもプレゼントの中身を見て驚いて、嬉しそうにするから、私は周囲の友達よりも長くサンタさんの存在を信じていた。

「いまさらサンタさんなんて信じてないでしょ」
「……うん、あれって隠すの大変じゃないの?」
「そうねえ、おばあちゃんのときは車のトランクに隠したりしてたけど」

ネタばらしをされたのは祖母からだ。6年生になっていた私は、もうサンタさんの正体なんてわかってますよみたいな顔をして話を合わせた。
まだ信じているなんて恥ずかしいことなんだというのは祖母の口調でわかったし、孫の夢を壊してしまったことに気づけば、おばあちゃんもショックだろうと同時に気遣ったのである。
「やっぱりお父さんとお母さんなんだ。そっか(でも、お父さんとお母さんにもサンタさんは来るのに)」

私たちの家族は種明かしをしなかった。だからずっとサンタさんが来る

クリスマスの朝の、両親の寝室に集まるその光景は私にとって大切なものだった。
「サンタさんなんていないんでしょ、これイオンの包みだよね?」
友達はそう親を論破したと学校で偉ぶっていたけど、私にはそんなことできなかった。
無粋な行いはなにより父と母を傷つけると思ったし、サンタさんをいつまでも信じていれば、いつまでもプレゼントが来るだろうという小さな打算もあった。
思春期に差し掛かるとプレゼントは枕元ではなく部屋の前に置かれるようになった(これは良い配慮だと中学生ながら思った)。
プレゼントはおもちゃやゲームではなく、好きなアーティストのライブDVDやニットワンピになった。大学に入って上京し、一人暮らしになってからも「サンタ・クロース」と書かれた小包が届いた。
今も母は「サンタさんから何ほしい?」と堂々と電話で聞いてくる。その会話を聞いて夫が苦笑している。
「◯くんにも聞いといてね」
いまでは私の夫にもサンタさんが来る。彼のもとにサンタさんが来たのは中学生ぶりらしい。

一緒にプレゼントをあけていた弟も、知らない間に私と同じ答えを選んだのだろう。私たちの家族は種明かしをしなかった。だからずっとサンタさんが来る。もちろん、未だに父と母にも。
子どもが大人になるにつれて通るべき道を通らなかったから、なんだかいびつで可愛い、愛おしいクリスマスの姿がある。

家族で喜んで、喜ぶ姿を見るクリスマスの朝は幸せ以上の何者でもない

おそらく、父と母は本当に自分の枕元に置かれるプレゼントの中身を知らなかったんだろうな、と親になった私は考える。
あれは嘘でできるリアクションではない。何より彼らは子どもよりクリスマスを楽しんでいるフシがあったし。
思い描くのは、寝る前にプレゼントの包みを交換する父と母の姿。何を欲しがっているんだろうか、どんなものが必要なのか。相手のことを思ってこっそりプレゼントを用意する2人の姿。
家族みんなで喜んで、喜ぶ姿をみてほっとしたり、うれしかったりするクリスマスの朝。これを幸せと呼ばずしてなんと呼ぶのか。
その証拠に私は、なにをもらったかは忘れてしまっても、家族みんなでプレゼントを喜んだことばかりを覚えている。

「結婚するなら父母みたいにサンタさんをやってくれる人がいい」
付き合う前からそう言い続けていたから、私にも夫にもサンタさんが毎年来る。実家のも合わせて私たちにはサンタクロースが2人いることになる。
わけがわからないけど、細かいことを気にするほど子どもではない。

いい子じゃなくても、なんなら子どもじゃなくてもいいよね。だってプレゼントってみんな嬉しいし。
我が家のクリスマスはそんな感じで、私はそのざっくりとした雰囲気が大好き。