実家を離れた夜。
夜行バスに揺られながら涙がとまらなかったあの時のことは今でも鮮明に覚えている。
2020年4月4日。
私は24年間、生まれ育ってきた地元を離れ、東北に向かった。
新卒で入社した人材会社を2年で退職し、学生時代から関わってきたNPOに就職し、活動の拠点である東北へ移住することになった。
安定した大企業を辞めることに後悔はしないか?
家族から離れることに後悔はないか?
このまま仕事を続け、挑戦しないことに後悔はないか?
お付き合いをしていた彼が先に活動拠点に移住をしていたということもあり、いつかは私も移住するのか?という想いも抱いていた。
人生であんなに悩み、苦しみ、泣いた日々はなかったと思う。
初めて家族と同じくらい、大事にしたいと思う存在に出会ってしまった
私の家族は、父母妹の4人家族だ。
母は明るく陽気で家族のムードメーカー。
父はおしゃべりではないが、優しく、頼りになる存在。
妹は好き嫌いがはっきりしていてクールに見えるが、根は優しい。
4人で食事に行ったり出かけたり、周りから見たら少し仲が良すぎると言われるかもしれないが、とても居心地の良い家族だ。
自分が一番大事にしているものが家族だった。
しかし、20歳ごろ、活動している地域や彼と出会い、初めて、家族と同じくらい、大事にしたいと思う存在に出会ってしまった。
そこからが大変だった。
自分は一人しかいない。けれども、一緒に時間を過ごしたい人、行きたい場所がたくさんある。これまで素直に話を聞くことが出来ていた、母からの言葉にも反発する自分が出てきてしまった。自分の大切にしたいものを、反対されることの苦しさ。ただ、自分が初めてこんなにも好きだ、大切にしたいと思うものを一緒に共感し、知ってもらえるだけで嬉しかったのに、それが叶わない悲しさ。
そんな苦しい時期が続いた。
日々の幸せが終わるタイムリミットが迫り、不安に押しつぶされる日が続く
新卒で入社した会社は、残業は多かったけれど、人には恵まれた。
しかし、2年目を過ぎた頃、このままこの会社で働き続ける人生で良いのだろうか?という問いが生まれてきた。
彼がいるというのも理由の1つではあるが、もう少し、自分の力を試してみたい。挑戦してみたい。環境を変えたい。
そんな気持ちが日に日に強くなり、2020年1月。新型コロナウィルスという言葉が世間に出始めた頃、私は退職し、4月に移住をすることに決めた。
退職し実家を離れることを決めた瞬間、「ただいま」と当たり前の家に帰ることのありがたさ。
食事をしながら家族と笑い、美味しいと言い合えること。
1つ1つの瞬間が、どれだけ幸せなことで、その生活が終わるタイムリミットが迫ってきていることに非常に焦った。自分で決めたはずなのに、1日1日が過ぎていく度にこれで良かったのかと不安に押しつぶされる日が続いた。
出発当日。夜行バスで出発予定だったためいつも通り4人で夕飯を囲む。
時間が止まれと思った。だけど自分で決めたこと。
「あなたが自分で決めたこと。みんな応援しているよ。離れても、あなたはあなた。家族は家族であることは変わらないよ」
父と母からの言葉。涙が止まらなかったけれど、自分で決めたことだ。
行ってダメならまた帰ってくればいい。
実家を出て、当たり前の「日常」が当たり前ではなかったことを知った
緊急事態宣言を発令するかと世間が騒いでいる中、私は家族に見送られながら、見慣れた駅から東京行きの電車に乗った。
いつもはクールな妹が泣いていた。ごめんね。
実家を出ることになり、初めて当たり前の「日常」が当たり前ではなかったこと、ただ一緒に食事を囲めること、同じ気持ちや景色を共有し合えることの幸せを知った。
そして、本当の幸せは、失いそうになってから気づくということ。
実家を離れて1年半。テレビ電話を頻繁にして家族とのコミュニケーションを楽しんでいる。
もう、昔と全く同じかたちに戻ることはないけれど、新しい形で、家族との時間を、絆をこれからも深めていきたい。
離れたからこそ、感じた家族のありがたみ。
今の自分だからこそ感じられる幸せを、気持ちを感じて生きていきたいと思う。