毎年クリスマスの時期になると、街中がクリスマスモード一色に染まる。
イチゴがたくさんのった美味しそうなケーキ、キラキラと輝くイルミネーション、可愛いラッピングが施されたプレゼント。どれもイメージするものは幸せな気分になれるものばかりで、クリスマスは気持ちを温かくしてくれる素敵なイベントだと思っている。
それだけいい印象がありながらも、少し前までは私にとってクリスマスが恐ろしい存在であったことも間違いない。
「サンタはいる?いない?」の呪文に、塾講師の私は苦しめられた
私は少し前まで、塾講師として小学生に授業をしていた。年齢的には「大人」と呼べる私からすれば、子どもたちにとってクリスマスは一大イベントなのではないかと思う。
国語を担当していた私は、授業のなかで日常生活の話題を取り上げることが多かった。クリスマスもその一つであったし、テキストにもクリスマスを題材にした文章が載せられていた。
私はクリスマスが素敵なイベントと思っている一方で、毎年クリスマスが近づくと私の心は不安な気持ちでどんどん膨らんでいくのである。
それはなぜかというと、誰もが一度は疑問に抱いたであろう「サンタはいる?いない?」の呪文に苦しめられていたからである。
私が塾講師として働く以前の話だが、授業で「サンタはいない」と発言した講師に対して授業を受けていた子どもの親が大激怒したことがあるというエピソードを、塾講師1年目の時に聞いた。そして毎年クリスマスが近づくと必ずこの話題はもち上げられた。
そのたびに私はひやひやしてしまい、いっそのことサンタは存在するとみんなが思ってくれればいいのにと願っていた。
サンタを信じていない子供に、信じ込ませるのは違うと思うし…
私自身も小学生のころはサンタさんに手紙を書いて、クッキーを用意してそれらをベッドの横に置いてワクワクしながら寝ていたものだ。
朝目覚めるとプレゼントが置いてあって喜んでいた。お菓子の詰め合わせが入ったサンタのブーツを履いて家の中を歩き周ったことも記憶に残っている。
サンタが特別な存在として私の中にいたことは事実である。だからこそサンタがいないと言われた時にショックを受ける子どもがいるのも納得できる。
しかし、私たち講師が気を遣っていても、子どもの中にはサンタなんていないと思っている子どもだっているのではないか、その子がサンタなんていないと大声で言ってしまったら私はどちらの立場をとればいいのだろうかと真剣に悩んでいた。
その子がサンタの存在を否定していてもクリスマスが来ないわけではないのだし、いると信じ込ませるのも違うと思った。
幸い、私が勤めてからはそのようなケースが起こったと耳にしていない。それでもやはりクリスマスと聞くと真っ先にこの話を思い出して、心臓が一瞬跳ね上がってしまう。
サンタがいると信じたかった3年間を、クリスマスが近づくと思い出す
塾講師として働いていた3年間は子どもたちよりも、私自身がサンタはいると信じていた、いや信じたかったのかもしれない。
現在は塾講師を辞めて、子どもと関わる仕事から縁遠くなった。あんなに苦しんでいた呪文を聞くことはすっかりなくなり、サンタの存在を真剣に話す人は周りにはいなくなっていた。
それよりもクリスマスをどう過ごすかに意識が向いているようだった。サンタがいないことよりも一緒にクリスマスを過ごす相手がいないことを悲しんでいる人さえいる。
私はいまだにサンタはいるのかどうか考えてしまう。きっと毎年考えてしまうのだろう。個人的にはいてほしいと思っている。
サンタの存在を信じていた小学生の子どもたちは成長し歳を重ねていくうちに、サンタという存在をどのように捉えているのだろうか。クリスマスをどう過ごしているのだろうか。
そんなことを毎年思い出してしまうのだ。