クリスマスといえば思い出すのが、高校三年の時の十二月二十五日のことだ。 
高校の主催する冬季講習の最終日だったその日。私は生まれて初めて「寝坊」というものをした。

大慌てで飛び乗る電車。遅刻と寝坊に無縁の私が始めて寝坊をした日

私の通っていた高校はいわゆる進学校で、土曜日も日曜日も模試や授業で追われるような学校だった。
とにかく朝から晩まで勉強、勉強、勉強。冬休みも夏休みも基本的に講習がある。朝早く起きて学校に向かい、夕方まで授業がある毎日。それでも私は遅刻という言葉とも寝坊という言葉とも無縁だった。
それなのに、その日だけは寝坊した。

その年の十二月二十五日は、確か土曜日だった。そのためいつもはかけているアラームをわざわざ切って寝ていたのだ。その結果、私は講習が始まる三十分前に起きた。
学校が始まる前に起きたのだから寝坊ではない、と思う人もいるだろう。それでも私にとっては寝坊、という認識だった。
なんとしてでも間に合いたかった私は、今考えたら「真面目」なのではなく「規則を破るのが怖かった」のだと思う。大慌てで口の中にトーストを詰め込み、スカートのホックが外れたまま電車に乗った。

弁当を買う時間はなかった。正確には、買う時間はあったが買えなかった。登校途中、駅と学校の間にコンビニがあるのは知っていたのだ。
だからこそ飛び込んだのだが、コンビニで買い物するのが久しぶりすぎた。迷いに迷い、五分も滞在したのに何も買えなかった。
当時の店員さんには謝るしかない。髪の毛ボサボサの女が飛び込んできて店内を早足で何周もした挙句、何も買わずに走り去っていったのだから。

お昼ご飯は女子トイレの水道水。帰り道、漂う匂いで知ったクリスマス

結果的に、学校には走り込んだので間に合った。だが学食で何かを買おうとしたら、そもそも三年生しかいない冬季講習期間だったため、学食が閉鎖されていた。暖房も相まって喉が渇いていたのに、お茶の一本もなかった。
あの年のクリスマス、お昼ご飯は女子トイレの水である。冷たい、カルキの臭いが強い水を何度も手ですくって飲んだ。不味いが、空腹には耐えられない。学校を抜け出すのは禁止されていたから、昼休み中に買いに行くということは考えられなかった。

ボロボロになった私が解放されたのは、十八時ごろだった。
とぼとぼ駅に向かう。ふと顔を上げれば朝のコンビニが、チキンとケーキの売り出しをしている。香ばしいローストチキンの香りは、朝からトースト一枚で凌いだ私の胃袋にとって暴力的なほどだった。
クリスマスだった、と気づいたのはその時だった。

その瞬間の、あの熱いものがじわじわ鼻の奥を侵食するような嫌な感覚は今でも覚えている。マフラーで顔を隠しながら、それでも顔が濡れてくる感覚は嘘をつかない。腹が鳴るまま、何も買わずに電車に乗って帰った。
家族には何もいえなかった。その日の夕飯は、塩鮭にきんぴら、味噌汁だったと覚えている。
クリスマス要素がなくて、風呂の中でもう一回泣いた。

クリスマスと強固に結びついてしまった、あの日飲んだ水道水の味

今思えばなぜあそこまで必死になって講習に赴いたのかわからない。クリスマスも盆も正月もほっぽりだして、それでも結局私は第一志望どころか第二志望にも受からず、後期試験で全く知らない大学の文学部に滑り込んだ。
大学ではよく遅刻し、サボり、留年の危機に陥った。なんとか卒業まで漕ぎ着けたが、単位はギリギリだった。

今、私はのんびり在宅でウェブライターをやっている。クリスマスは家族と一緒に過ごすのが定番になった。ケーキを作り、フライドチキンを食べるのが、ここ近年のクリスマスのメニューである。
しかし今でも、十二月ごろになると水道水の味だけは不意に思い出す。
刺すような水の冷たさ、カルキの臭い、誰もいない薄暗いトイレ、手ですくって飲む屈辱感。
今もクリスマスと強固に結びついてしまっている、苦い記憶だ。