ほろ酔い気分で早すぎる最終電車に揺られながら、「ひとりだなあ」と小さく思った。
4月から住み始めた町は県北のいわゆるど田舎で、この地に生まれ、この地で育った人が大半の小さな町だ。
それでも初めてひとりで暮らす町、住んでみればやさしい人ばかりだし、近所には美味しいケーキ屋と雰囲気の良い純喫茶がいくつかあって、私は割と気に入っていた。
「もう23」とか言われると、なぜか焦るような気持ちになってしまう
ああ、この人の背骨がいつか曲がりきってしまって歩けなくなる時が来ても、車椅子を押すのは私であればいいなと本気で思った人は、初めての一人暮らしを「楽しんでるなあ」と言ったきり、ついぞこの町に来ることはなかった。
ある時会いに行ったら、いつの間にやら恋人同士ではなくなっていたらしいのだ。今時珍しい煙草の吸える喫茶店の話をしたら、きっと喜んでくれると思ったのだが。
大学時代の友人達とは地元に帰れば飲みに行く。今日もその帰りだ。
最近は3、4個上の先輩が立て続けに結婚したこともあって、将来のことが誰からともなく話題に上がることが多い気がする。
「もう23だよ」とか言われると、別に焦ってないのに焦るような気持ちになってしまう。結婚とか、家族をつくること自体には、元々さほどこだわりがないのに。
「みんなでシェアハウスしようよ」という提案に、私も乗っかった
彼等とは卒業旅行と称して那須高原にコテージを借りて、一泊した。その僅かな時間が私には大層輝いた記憶として心に刻まれている。
今日、ひとりの友人が「もう結婚とかどうでもいいから、みんなでシェアハウスしようよ」なんて言い出して、私もそれに乗っかった。本気でそうできたらいいなと思っていたから。
私達は男女比6:2の少々いびつな編成なのだが、誰かと誰かが「そういう」ことになる事態が一切なく、きっとこれからもない。
共有しているのは音楽という趣味と、それにまつわる4年間の思い出。言ってしまえばそれだけだ。
それだけだけれど、那須高原で過ごしたあの1日がずっと続く様子は、結構簡単に想像できてしまう。それほど彼等と過ごした時間は濃密だったし、きっと私は彼等の、合わない価値観や生活ぶりも含めて丸ごと全部愛おしく思ってしまっている。
壁一枚隔てたところに彼等がいる場所があったら、どれだけ幸せだろう
勿論、シェアハウスに対する反応は様々だった。
「絶対けんかになるよ」と、もうひとりが言った。確かにするだろう。絶対に。
それに、私自身は蓄えができれば適当な家を買うつもりでいるけれど、それより前にそれぞれ自分の居場所を見つけるかもしれない。結婚とか家族とか恋人とか、陳腐なものではないとしても。
そうでなくても、全員が一緒に住むことを望んで受け入れてくれるとは思っていない。
ただ、きっと寂しいのだ。小さな町の、小さなアパートに帰って来るだけで心の隅にいつも穴が空いている、そんな気持ちに時々なる。
ひとりの暮らしは憧れで、気兼ねのない生活は楽しくて、忙しい日々がその穴を忘れさせていてはくれるけれど、それも永くは続かないだろう。
壁一枚隔てたところに彼等がいて、長いダイニングテーブルに腰掛けて、大きなお鍋で煮込んだカレーを頬張ることができたら。そんな場所があったら、どれだけ幸せだろうか。できることなら、楽器も持ち寄って。
将来、各々が別々の道を見つけるのだろう。それは私も例外ではない
そんな妄想をしながら、電車に揺られている。
「こんな楽しい話をしておいて、結局ひとりにしたら許さないからな!」と吐き捨てて一足先に解散したけれど、まあ、きっと、そう遠くない将来、各々が別々の道を見つけるのだろう。それは私も例外ではないかもしれない。
誰でも等しく、人間はいつもひとりだと思う。それでもいつか家を買ったら、私は長いダイニングテーブルと大きなお鍋を用意しよう。
いつでもあの愛おしい日々のつづきができるように。