生粋のインドアの私にとって、コロナ禍の2年間は快適だった

元来出不精な性分だ。
騒がしいところは苦手だし、海外に行きたい願望もない。
お休みの日は出来る事ならお家で一人YouTubeを見ながら寝ていたい。
いつからこんなインドア人間になってしまったのか……と振り返ってみるけれど、小さい頃から旅行らしい旅行なんてしたこともないし、したいとも思わなかった。

よくよく考えてみたら、両親は人混みも運動も人付き合いも嫌いで、お家が大好き。
子は親の背中を見て育つ。生粋のインドア二人に育てられた私が、アウトドアに目覚めるはずがなかった。コロナで外に出ることが出来ずに嘆くアウトドア派を横目に、インドアの英才教育を受けた私は、快適な2年間を謳歌していた。

しかし、そんな快適しかない筈のインドア生活に最近、閉塞感を感じている。
新型コロナの新規感染者が一桁台に落ち着き、自粛のムードが薄れて来ている昨今。街中には人が溢れ、休日ともなれば勤め先の大型商業施設も芋洗い状態で騒がしい。駐車場の満車表示を久々に見た、なんて同僚と話していたが、これからはこれが日常に戻っていくんだろう。

以前と変わった日常に逃げ出したくなる

来たる年末年始商戦が今から恐怖で仕方ない。
そう思う程度には、世間はもうコロナを得体の知れない何かではなく、流行り風邪の一つと認識しているのかもしれない。

段々と日常が戻ってくる中で、変わらないように見えて変わってしまったものも沢山ある。
例えば私は接客業を長年続けているけれど、コロナを境にお客様の財布の紐はグッと硬くなったし、接客中に会話をすることも減った。必要なことだけ事務的に終わらせて早く店を出たい、という気持ちがありありと伝わってくる。

マスクで見え難い表情はどこかしかめつらしく見える。
お店の運営面で言えば、人件費削減でスタッフが減り、残ったスタッフにその皺寄せが来ている。人手は常に足りなくて、みんながみんな自分の事でいっぱいいっぱい。お店全体にピリピリした雰囲気が蔓延して居心地が悪い。

そんな環境が春先の緊急事態宣言明けからずっと続いている。
毎日愚痴をこぼす生活にも嫌気がさして、半年前から暇さえあれば転職サイトを覗くことが日課だ。
募集は沢山あるけれど、今までの職歴と今後目指したい職歴に乖離があって書類すら通過しない。

ここから早く逃げ出したい、でも次が決まらない。いつのまにか30になってしまう……。
暇な時間が出来ると止めどなく湧き上がってくる漠然とした不安に押しつぶされそうになってしまって、家で一人でいる間もなんだがずっと居心地が悪い。
何もかもほったらかしにして何処かへ逃げてしまいたい。

頭に浮かぶ、水平線に夕日が沈む光景を見たときの感覚をもう一度

そう思った時に頭に浮かぶ光景がある。
広々とした水平線に夕日が沈む光景だ。
出不精の私が修学旅行以外で行ったことのある唯一の旅行は、22歳の時中学からの同級生と、出会って10年の記念に行った島根旅行だ。
旅行といっても観光地を回るのではなく、みんなでお金を出しあってコテージを借りBBQや花火をする、という林間学校色の強いものだった。

気心の知れた仲間と2泊3日。
海に近いコテージで、テラスから一面の日本海を見下ろすことが出来た。
瀬戸内の内海育ちで、海は見慣れているものの、瀬戸内海は稜線の先に島陰が見える。
見渡す先に何も遮蔽物がない日本海の光景には圧倒された。
海に対して雄大、壮大などと表現する意味が理解できたような気がした。
中でも夕暮れ時は壮観で、遠く水平線に太陽が沈んでいく様は、オレンジの夕焼けと暮れかけの強い光が私たちを包み込んで心に染みる風景だった。

お祈りメールを開きながら悶々として逃げ出したいような気持ちになる時、強烈に思い浮かぶのはその光景だ。
別にそこに行ったからといって何が変わるわけでもない。
それはわかっている。
ただ、あの強烈な感覚をもう一度体感したいだけだ。
何かが吹っ切れるのではないか、なんて思ってしまっている。

それが、出不精の私に旅が必要な理由だ。