受験する子達の学習塾と競技の練習は、似たようなものだった

わたしはずっと、幼稚園くらいの頃から続けていた競技がある。部活ではなくて、いわゆるクラブチーム。学校の外で活動していた。
平日の学校帰りに遅くまで練習して、休日は朝から晩まで練習して、お正月も夏休みも練習した。もちろん、クリスマスも。
ただ、わたしのところは欠席がタブーではなかった。むしろ自由だった。何曜日に練習して何曜日に休むも、私たちの予定や気分にすっかり任されていた。

でも、みんなまず休まなかった。
上達したかったし、当たり前だと思っていた。

進学校を受験する周りの子達の学習塾のようだった。そんな子たちには、いつ休みなの?なんて聞きながら、自分の練習だって似たようなものだと当時のわたしは気がついていなかったような気がする。
別に苦ではなかった。

プレゼントは一度ももらっていない。でもあたたかく、たのしい思い出

クリスマスだって、一緒に過ごしたい人もいなかった。そんな毎日の中で恋人ができる方が不思議かと思う。でも、相手がいなくても、わたしは別に寂しくなんかなかったのだ。
チームのみんなはだいすきだった。
ずっと一緒に育って時に闘ってきたので、そりゃあたまには変にライバル心や対抗意識の芽生えてしまうこともあったけれど、でも仲良しだった。
すごく。
すごくすごく仲良しだった。
みんなといればたのしくて、クリスマスは特別な日になった。

加えて、先生がちょっぴりイベントごとのすきなお茶目な人だった。
クリスマスの日の練習後には、毎年、じゃんけん大会をした。
先生が何人か分だけ、長靴に入ったお菓子なんかをご用意してくださった。
今思えば、教師やコーチのような人の一般像とわたしの先生は、異様に違っていると思う。
それも、しあわせだった。

そのじゃんけん大会に、所属年数分、つまりなんども参加したけれど、わたしは勝ち抜けたことがなく、プレゼントは一度ももらったことがない。
悲しく聞こえるだろうか。
でも、わたしにはとてもあたたかくて、たのしい思い出だ。

クリスマスは、「自分も大人になったなあ」と思うきっかけの日

今でもきっと、そのクリスマスの恒例行事は行われているように思う。
わたしの後輩にあたる子たちがウキウキとしているんだろう。今年も。そして彼、彼女たちもきっとそんなクリスマスを存分に楽しんでいると思う。

今になってみると、クリスマスはやっぱり恋人と過ごしたいな、と思う。もちろん。
イルミネーションやクリスマスマーケット、あとはプチ贅沢をした背伸びディナーなんかに憧れる。毎年。
そして毎年、もちろん憧れるようなクリスマスを過ごしている。
これも、しあわせだ。
自分も大人になったなあ、と思うきっかけの日が年に一度誰にでもあるような気がするけれど、わたしにはそんな日はクリスマスかもしれない。
お誕生日やお正月、年末ではなくて。

今のわたしの「クリスマスの思い出」として書けることは、この競技少女時代の話になるけれど。
もっと歳を取ったらそれが、クリスマスの度に自分のまだ浅い年月をかえりみる20代の話に、なるのかもしれない。