目標など持ったことのない人間だった。

その日暮らしで、「息してるだけで偉いから毎日褒めて」などと嘯き、かの夏目漱石大先生には、
「『向上心のない奴は馬鹿だ』なんて甘っちょろい言葉で締めずに、『向上心のない奴は、馬鹿でクズで周りの信用を一気に失って、親の顔に泥を塗るような失態をしでかして、それを一生根に持ったまま何をしても心からは自分を肯定できない人生を歩むことになるぞ』とまで言ってくれてたら私だってもっと勉強したさ!!!」
などと悪態をつく人間である。なお、「息をしているだけで偉い」理論は間違いではないと思う。異論も認める。

さて、こんな向上心のかけらもない人間が、初めて生きる目標のようなものを持ったので、それを来年の目標としここに記すことにする。ぜひ読んで一緒に応援してほしい。

依存してしまう根本的な原因は「愛の求めすぎ」と分かっていても…

私が初めて掲げる目標、それは「依存しないこと」である。

お酒にも薬(合法)にも人間にも依存しない人間でありたい。そしてあわよくば、仏教で言うところの「愛著(あいじゃく)」という煩悩を滅却したい。なぜなら諸々に依存してしまう根本的原因は愛の求めすぎだからである。

以下に詳しい理由と今考えている対処法を記そう。

生きることがどうしようもなく苦しくて、精神科で処方された頓服の安定剤を一日に飲めるギリギリの量まで飲んで、それでもまだ苦しいまま世界は続いているからお酒を飲んで、浴びるように飲んでも満たされないから都合の良い言葉をくれる人間に依存する。この悪循環を断ち切りたいと、ふと思った。

愛してはいない人間から「好きだよ」の言葉をもらった何万回目かのことである。「大好きだよ。君が君でいるかぎり愛してる」。

字面だけ見ればとても嬉しい言葉なはずなのに、とても虚しいと思った。とても、とても虚しい。満たされない。

ずっと求めているものに気付いた瞬間に流れた涙。愛されたかった

本当に心から愛す人からは欲しい言葉をもらえないのに、別の人間からはいとも簡単に欲しい言葉を引き出せるなんて、とても空虚だ。満たされたことなんて一度も無い。それなのに、さみしさを埋めたい一心で、純粋に好意を向けてくれる人間を囲っておく私は浅はかで卑しい。

やめよう、と思った。ぜんぶやめたい。

満たされないまま虚しくなるだけだとわかっているのに、繰り返してしまうのはなぜだろう。

ゆっくり解きほぐして考えて、周りの誰かを両親の代わりにしているのだと思い当てた。気付いた瞬間涙が出て、しばし止まらなくなった。

そう、愛されたかったのだ、両親から。一言でも、嘘でもいいから「好きだよ」と言ってほしかったのだ。「そのままでいいよ」と認めてほしかったのだ。
心のこもっていない言葉でもいいから、ひとこと両親がそう言ってくれたら、私はお酒も薬も人間依存もやめられると思う。喜んで放り出す。

でも、両親は私を愛さないし、私がクズであることを両親のせいにすることだってできない。事実、すべて自分が選択したことだから。

自分を救えるのは自分だけ。だから私は、私を大切に愛していく

結局、自分を救えるのは自分だけだ。

もうそろそろ救いが欲しいから、私は私を救済する。自分を認め、自分を愛す。「両親から愛されたい」を卒業する。

とても難しいことのように思うけれど、私はきっとやり遂げる。誰かが愛してくれなくても大丈夫。私は私を大切に愛す。