あの子……と言われて思い浮かべるのは誰だろう。

親友もライバルも憧れの存在も人生にたくさんいた。だけれど、今の私がいるのは、今の私の価値観を作ったのは……あの子がいたからだと思う。

私に“不倫”という価値観を教え、愛というものの虚しさを教えたあの子がいたからだと思う。

恥ずべきハプニングで黒歴史。平穏な幸せと並行しないと信じていた

彼女と出会ったのはうんと若い時だ。周りはまだみんな幸せな恋愛や結婚に夢を抱いていたのに、あの子は違った。どこか悲観的で、でも野心的で、自信家だった。ブランド物が大好きで、負けず嫌いで、向上心のやたらに強い女の子だった。

彼女は奥さんのいる男性を好きになり、そうして不倫を始めた。でも奥さんと別れてほしい、自分と結婚してほしいなんて気持ちは毛頭なかったらしい。

そう、単なる暇つぶしだ。

私は両親がとても仲良しだったので、結婚というのは生涯一人の人だけを愛するのが当たり前だと思っていた。もしかして万が一、人生で一度や二度、ぐらりときてしまうことがあったとしても、それは恥ずべきハプニングであり黒歴史で、平穏な幸せと並行して長期に進行されるものではないと、信じ込んでいた。

もしくは不倫というものは愛の逃避行で、マグマのように熱いものだと思っていた。非日常でそうそう簡単には起きないものだと思っていた。何らかのものすごい覚悟がないとできないことだと思っていた。

悪びれもせずに、幸せな平穏にしれっと戻ってくると知った

なのにカフェでパンケーキをつつきながら、私は彼女からまるで雑談のように、屁もないことのように不倫の話を聞かされ続けた。時に笑いながら、時に気だるそうに、まるで春に買う服のブランドの話をする時のように、まるで倦怠期の彼氏の話をする時のように、何でもないことのように。

結婚したら、朝仕事に出かけたはずの配偶者が、見ず知らずの女と一緒に自分のことを馬鹿にする世界線が存在する可能性を知った。
平穏な幸せと並行して、まるでテレビの副音声みたいに、その幸せを疎んだり、嘲笑う人たちがいることを知った。そして悪びれもせずに幸せな平穏にしれっと戻ってくることがあり得るのだと知った。

運悪く私は彼女の不倫相手のこともよく知っていて、日常的に会う立場にあったので、彼がいかに普段は平穏な幸せを遂行しながら過ごしているかを、嫌というほど知りながら過ごしていた。
だからこそ、悟ったのだ。“永遠の愛なんて絵空事はこの世にない”のだということを。

不倫相手の彼女は、奥さんよりも魅力的なわけではなかった

永遠の愛がおとぎ話でファンタジーであることは仕方ないとしても、せめて不倫なんてものはもっと何か……結婚してしまったけれどその後で運命の人と出会ってしまうような、そんな熱くて不可抗力なものだと思っていた。
結婚したのちにも惹かれあってしまうぐらい猛烈に、それはもう配偶者の立場だけでは抗えないほどの引力によって引き起こされるものだと思っていた。

しかし、私の見た不倫は違った。彼らは平穏な幸せを手放す気は全くなかった。
彼女は奥さんよりも魅力的なわけでも、奥さんよりいい女性なわけでもなかった。2人にとってそれは単なる暇つぶしだった。それが逆に虚しくて、悲しくて、そしてリアルだった。

あの子がいたから。若いうちにそんなことを知った。
これは不幸なんだろうか?
それとも現実を知るのが早かっただけなのだろうか?

いずれにしても私は今も、男性が愛を囁いてきたとしても、これはどこかで酒の肴やピロートークのネタ、パンケーキのお供になるのだろうという冷めた感情しか持てなくなってしまった。