暇だ。外出できないとなると、頭を使わなきゃいよいよ楽しくない。何もしないでいると、時間を浪費するばかりだ。
外に行けば、大体そんなに深く考えなくても楽しいことがあって、すぐに気分転換もできる。
でも、私は自粛しなければならない。他の人が自粛しないことを咎めるつもりはないが、自分だけでもおとなしく家にこもろうと思う。

一度にたくさんのことはできない。好きではないことも長続きしない

 

緊急事態宣言で、彼氏との同棲が延期になった。あと3日というところで、まさかの延期だった。
緊急事態宣言が解除されなければ、引っ越しは難しい。それでもなんとか無理やりするかもしれないけれど、しばらくはできないだろう。
だから前回の延期の時はぐれて外へ出たけれど、今回は自棄なんて起こさず、出来るだけ家にいることにした。

でもまぁ暇である。
大量に買った本の中に、読んでいなかった本があったので、紅茶をいれてそれを読んだ。
冷蔵庫に作ったままの酵母の元種があったので、それでワッフルを作った。夕飯用には取り寄せたスパイスでカレーを作る。
これまでも一応自粛はしようと、思い立ってワッフル焼き機を買ったりしていた。
でも、こうした努力は続けないと、自粛が楽しくなくなる。努力せずパッと楽しめる外出に向かう人が多いのはそりゃ頷けるのだ。

これまでも、手芸、読書、ストレッチ、自転車、などに取り組んできたが、移動手段である自転車以外はあまり長続きしていない。
手芸なども挑戦してよかったと思うし、自粛中だからこそ取り組んだのだけれども、ずっと手芸をしろと言われると苦痛だ。

結局今、私が熱心にやり込んでいるのは料理くらいだった。人間一度にそうたくさんのことはできないらしい。そして、好きではないこともまた長続きしないらしい。
本当に自分の身のためになるストレッチなどは、少しずつでも毎日行いたい。でも自分のためのこともたくさんだと疲れるから、私は簡単なストレッチを1つだけ続けている。

酒で人脈を広げていた私はアラサーになり、お直しが好きと気がついた

自粛はしているけれど、私も外出は好きだ。
買い物もしたいし、外食もしたい。自粛しても休日に外へ出ることはゼロではなく、手芸や料理の材料や、本を買いにも行く。料理のテイクアウトもしたい。
しかし買い物は、あんまり頻繁に行くと虚しさを覚えるし、外食ばかりだと気持ちがもたれる。

買い物から帰って、買ったものをすぐに開けないと買い物依存症の疑いがあると聞いたことがある。昔、買って帰ったものを数日放置したことが何度かあって、気をつけようと思った。
それから少し買い物を控え、更にコロナ禍で欲しいものはなるべく作るようになり、服や靴下に穴やシミができると、ダーニングなどで直すようになった。休日の終わりかけのもやもやはなくなった。

コロナ禍で時間ができて、ダーニングなどを学ぶ時間もできた。
本を見ながら試しただけだけど、すぐにできてしまった。お直しは手芸が苦手でも簡単にでき、達成感が得やすいというだけあって、私はなんでも直したくなって、穴の空いた靴下やシミの入ったブラウスを探した。

学生の頃はとにかく酒を飲み、いろんな集まりに顔を出し人脈を広げていたのに、アラサーになって、私はこういうことの方が好きなんだと気がついた。
好みが変わったのかもしれないし、元から作ることの方が好きだったと今更気がついたのかもしれない。どちらかは分からないけれど、私は今、昔より落ち着いている。
しかし昔の私なら、こんなしけた生活はつまらないと言いそうだ。

お酒の勢いで思っていることをガンガンぶつけるのは殴り合いと同じ

向上心の塊で、周りの人間を利用してでも上に行くことしか考えていなかった私は、こんな自粛生活を無意味だと考えていただろう。
まぁ自粛したらしたで、毎日練習に取り組んでいたかもしれないが、こんな心穏やかにものを作る日々は過ごしていなかった。
料理は昔から得意ではあったが、20歳前後の時はする気がなかった。するとしても、他のことをするよりはましだと仕方なくする程度だった。

力でしか人を見ず、力で押さえつけられなければ言うことを聞かず、何かにつけ私はできるからと自信過剰で、まぁ若いから許されただけの恥ずかしい奴だった。
これを改めるきっかけになったのが彼氏の存在で、彼のためにもなんとかしなきゃと思いつつなかなか進歩もなく、たまに八つ当たりもしたしょうもない私を諭し、見守ってきてくれた人たちには、本当に頭が上がらない。もちろん、それを一番近くで見守ってきた彼にもだ。
そしてそういう経緯があったから、今失敗してもなんとか失敗を取り返そうと努力ができるし、ダメな自分も認めてこれからは頑張ろうと思える。過剰な自信も落ち着いてきた。このことがどれほど生活を豊かにするか。そしてそこまで根気強く見守ってくれる大人がいるのはどれだけありがたいことか。今更になって身に染みている。威張らず叱ってくれる大人の言うことは、よく聞いた方がいい。

飲み会も好きだったけれど、そもそもお酒がなければ腹を割って話せないのはおかしい。お酒の勢いで思っていることをガンガンぶつけるのは殴り合いと同じで、相手のことなんて何も考えていないことであると、アル中になりかけてから気がついた。

お酒はやめた。
やめてから、飲みニケーションって赤の他人同士だからこそ必要なもので、仲の良い人同士で酒の勢いで言い合いをすることは暴力だと思うようになった。親友が下戸だということも禁酒してから知り、ちょうど良かった。
そもそも親友とは酒を飲まなかった。この子とは酒を飲んで語り合う必要もなかったのだ。酒なんてなくても思っていることを伝えあえたし、黙って同じ空間にいても苦ではなかった。いつもお互いを気にかけていることだって、伝わっている。
そもそも、飲み会の後のなんとも言えない寂しさ。こんなものを毎回感じている時点で何かおかしかった。

休日が変わって、私も変わった。
とにかく今は、よく考えないと自粛は時間を浪費するだけになりかねないから、必死でいろいろ考えている。
案外自粛は悪いことばかりでもなくて、あの本を読もう。あれを作ろう。と考えると、なんだかわくわくしてくるのだ。
たまには外出を楽しんだっていいのかもしれない。それでも私はもう少し、自粛に力を入れようと思う。