クリスマスと聞くと、サンタさん、プレゼント、クリスマスソング。小さい頃はプレゼントや家族で過ごすパーティが毎年楽しみだった。今でも煌めく街に浮き足立つ雰囲気にワクワクする。
その中で特に思い出すのは大学時代に友人と過ごしたクリスマスだ。

リア充の真逆を行く友人とのクリスマスは、企画からなんだか楽しい

「お互いクリスマスを過ごす相手がいなかったら、ご飯に行こうよ」
大学一年のある時、友人に誘われた。当時恋人がいなかった私は、二つ返事でOKした。カップルがいそうなイタリアンやおしゃれなレストランはやめて和食や居酒屋にしよう、イルミネーションを見に行くのは却下。あえてあまりクリスマス感のない方向に計画を立てていった。
いかにリア充の真逆に行くかがポイントで、そうやって企画していくのもなんだか楽しくて。誘われなかったらバイトするか、くらいにしか思っていなかったクリスマスが一気に楽しいイベントになった。
当日はご飯屋さんで美味しいご飯に舌鼓を打ちながら、くだらないおバカな話から大学の勉強のことや恋愛のことなど、様々な話をたくさんした。おふざけにはここ一年で一番笑ったのではないかと思うくらい大笑いしたし、恋愛や深い話にはお互い真剣に話して。
最後は駅に向かいながら行き交うカップルに「リア充爆発しろ」と独り身お決まりの文句を毒づいて。「恋人がいなくても楽しいもんね!」と半分強がり、半分本心の感想を言い合いつつも、「来年はお互い相手ができたらその相手と過ごすんだ」と励まし合って別れた。楽しかったな、と余韻に浸りながら帰宅するのも気分が良かった。

「来年は恋人と過ごそう」と言い合うのが、私たち恒例のクリスマス

残念ながら「来年はお互い相手ができたらその相手と過ごす」という希望は大学4年間一度も果たされることなく終わった。つまり、大学時代の4回のクリスマスは全て彼女と過ごした。
最初は「もし予定がなければ一緒に」と気遣いもあったが、だんだん年を重ねると「今年は何する?どこに行く?」と完全にお互いに予定がない前提で片方から話を出し、当たり前のようにもう片方も応える、という流れが完全に出来上がっていた。
そしてカップルがいなさそうなところでご飯を食べ(それは時には当たり外れがあったりもした)、毎年大笑いして、真剣な話をして、そして最後は「来年は恋人と過ごそう」。それが私たちの恒例のクリスマス。

文字にまとめると、一見負け犬の遠吠えのような、寂しいクリスマスに見えるかもしれないが、充実はしていた。漫画やドラマで描かれる恋人とのクリスマスは少し憧れがあったしそれは実現できなかったけど、4回とも美味しいご飯と笑った記憶しかない。
多分、こうやってクリスマス感のない方へ過ごしていたから、お互い相手ができなかったのかもしれない。でも心から「楽しい」と思えるクリスマスを一緒に過ごしてくれた友人には感謝している。

ロマンチックじゃなくても、貴重な親友ができたことがプレゼント

大学時代4回もクリスマスを一緒に過ごした彼女とは、今は親友だ。さすがに社会人になって、クリスマスを一緒に過ごすことはなくなったけど、今も少なくとも年に1回は会うし、連絡もこまめに取り合い、時には一緒にふざけてくれて、時には私を叱り、励まし、一緒にふざけて大笑いしてくれる。
大学時代、恋人と過ごすようなロマンチックなクリスマスを過ごすことはなかったが、人生の財産とも言えるような貴重な親友を手に入れることができた。それだけで十分なクリスマスプレゼントだ。

毎年クリスマスが近づくと、周囲のキラキラした街並みににワクワクしながら、この大学時代のクリスマスを思い出す。たとえ、王道ではなくても、私には何物にも代えがたい、大切な思い出だ。