「この前飼ってるうさぎの定期健診に行ったらね、なんと骨が折れていたの。でも、うさぎって骨が折れていても全然態度に出さなくてね。普通にぴょんぴょん駆け回ってるから全然わからなくて」

うさぎを飼っている友達が、ミルクティをすすりながら何気なくそう言った。
「え?どうして?痛くないの」
「そりゃ痛いだろうけれど……でも自然界じゃうさぎが足を引きずっていたら、ライオンとかハイエナの恰好の獲物じゃない?だから室内飼いのペットのうさぎにも遺伝子的に?本能的に?しみついてるんじゃないかな」
私は「なるほどー」と返しつつ、内心うさぎに共感していた。

子供のころから弱みを隠すことは自分にとっての「処世術」だった

私は人に弱みをみせるということが苦手である。だから人に頼るのも下手くそである。
弱みを見せる、頼るなんていわば相手に急所を晒すような行為じゃないか、もし頼った人と何かの拍子に揉めるようなことがあって、その弱みをばらされたら困る。

それに弱みだけでなく、私は自分の痛みを声に出すのが出来ない。子供の頃から転んで怪我をしたり風邪をひくと、何故か血相を変えた親に烈火の如く怒られた。甘えることは許されなかった。
弱みを見せたら見せた分だけ機嫌を損ねて家の空気を悪くしてしまうから、弱みを隠すのが自分にとって処世術になってしまったと思っている。

私は未だに痛みも弱みも全て、骨折した足で跳ね回るうさぎの如く隠している。定期的に通っているメンタルクリニックでもいつだって虚勢を張って作り笑いをしているし、「頭いてーわー。昨日飲みすぎちった」なんて挨拶代わりに言えるような友達をこっそり羨んでいる、口が裂けても私はそんなこと言えない。

私にとって弱みを晒すのは、首に牙をたてられて肉を食いちぎられ血を垂れ流し骨をしゃぶられるのと同じだから。

人でしか満たされない不安に襲われ、辿り着いた恋人代行サービス

でもどうしてもか、人でしか満たされない不安に襲われることがある。私の心には幼い頃から不安が巣食っている。家の家具を揺らす怒鳴り声と互いを罵りあう言葉……そして皿の割れる音とすすり泣く声が原材料の不安だ。この不安は滅びる事はなく定期的に私を苦しめる。

そんな時、誰かに抱きしめられて「大丈夫だよ」と語りかけられたい衝動に駆られる。友達では私の弱みに対するストッパーが外れなくて、だれかいきずりの人を探すのはこのご時世危なすぎて。
そんな私が辿り着いたのは、女性向けの人を派遣してくれるサービス。でも人材派遣会社のようなクリーンなものではない。いわば恋人代行といったところか。

恋人は別に求めていないけれど、金銭を介したその日……いや、ほんの数時間だけの関係の相手ならば弱みを晒しても誰かにばらされることはない。だってもう会わないのだから。

首に牙をたてられたとしても、まるでゲームのキャラの様に復活の呪文を唱えれば生き返られるという非現実。不安という不安が頭の中でぐちゃぐちゃに絡み合っていて、これを解かないときっといつか絡み合った不安が私の首も絞めるだろう。私は酸素を欲するように早急にホームページの番号に電話をかけた。

ゆっくりと抱きしめられたとき、「これが欲しかった」と頬を伝う涙

場所は個室。お安くないお値段を握りしめて、私は数時間限りの恋人を待っていた。個室の扉には自分の靴を挟んであり、待ち人を招いている。
ギイという音がして扉が開くと日に焼けた、今この瞬間から私の恋人になった男が立っている。

挨拶もそこそこにお金を渡した……高給取りではない私にとっては大金といえるけれど、でも今自分に欠落しているものを補充するには必要経費だと思うと安かった。
ATMから下ろしたばかりの、真ん中で二つ折りにされたお金は細く長く折れやすそうな私の手から、太くたくましくそうで簡単には折れなさそうな男の手のひらに渡る。

そしてゆっくりと抱きしめられる。人に抱きしめられた記憶なんてほとんどない私の背中に逞しい腕が回り、肩甲骨の上で手の平が弾む。
これが欲しかった……これが欲しかったのだと思うと、天才子役も驚くような速さで一筋涙が頬を伝った。いつも抑えているストッパーが外れるとあとは決壊するだけだ。

私は今ただ、目から水滴を流すだけの肉塊になっている。でもそれはそれで心地が良かった。
今まで生きてきた自分なんてかなぐり捨てて、一生消えない傷と汚れで普通とは程遠い心さえも見ないふりをして、ただ泣くだけなのは心地が良い。

「大丈夫ですか」
あと数十分間は私の恋人である男に問われる。
「だいじょうぶ」
という声が上ずらないように、こんなにも肩を濡らしてしまっているのにまだ強がれる私はきっと心底弱みを晒せない呪いにかかっている。きっと前世はうさぎだったんだろう。

こうでもしないと生きていけない私は、きっとまた頼るのだろう

時間が来る。私の恋人ではなくなることを告げる彼のスマホのタイマーはけたたましく鳴る。個室を出てただの「買う側」と「買われる側」になってぶらぶらと駅まで歩く道のり。
ああ、間違っていると思った。人を買うなんて。

でも、お金持ちの油も乗ったおじさんが色白で巨乳の女の子を鼻息たてて呼びつけてその肌や肉を味わうのと、私の買い物はわけが違う。
おじさんはそれを買わなくても死なないけれど、人に頼れない私はお金を叩いてでも人を買わないと生きていけないのだ。

それはリアルな恋人がほしいのとも少し違う。恋人ならやれデートだ、やれ価値観だ、結婚だと厄介だけれど、数時間買った恋人ならばその厄介さがない。
例えるならばサプリメント。ビタミン不足、カルシウム不足だから飲むあの錠剤の様に私は人に頼ることを補っている。

「じゃあまた、今日はありがとう」
駅で別れて乗る電車の窓に映る私の目からは涙の伝った跡が分かったので、マスクを少し上にずらした。空しいという感情を飲み込む。

弱みを晒す事で食い千切られた自分が、電車に揺られながら少しずつ再生していくのが分かった、これで暫くは大丈夫。誰かに頼れない私は人を買って、数時間だけ人に頼って甘えて生きている。