一等のお気に入りの物を、宝箱に大事にしまう子どもだった。たまに取り出しては眺め、また戻す。
お祭りで父に買ってもらった、青い貝殻細工のブレスレット。もったいなくてどうしても使えなかったシール。朱色の麻の葉文様が細やかな万華鏡。覗くと、色彩豊かなステンドグラスのようで美しい。
その中に一緒にしまいたかったけど、できなかったものがある。それは、サンタクロースのブーツにうさぎが入って顔を出しているクリスマスの飾りだった。ご丁寧にベルが首にりぼんで結ばれていた。
触ることすらもったいなかった、特別な飾りのブーツうさぎ
毎年12月になると、母が押し入れからクリスマスツリーを出してくれる。ほこりを被る段ボールを開けると、高さ50センチメートルほどのもみの木と飾りと綿が入っている。
まずはリビングのテレビ台の端にもみの木を置いてもらう。そして手始めに、電飾とクリスマスモールを巻きつける。それから綿を散らす。電飾に綿を被せるとぴかぴか光る眩しさが和らいで、白に柔らかく色が移るのが好きだった。
とっておきのブーツうさぎの飾りをつけて、プレゼントやりんご、ボールなどを周りの枝に吊り下げる。最後に星をてっぺんに乗せて完成。いつも正面の一番良い位置で、ブーツうさぎは賑やかに囲まれて揺れていた。
私は結構大きくなるまで、床にぺたんと座り込んで、毎日のように長い時間うさぎを眺めていた。薄い茶色のうさぎの頭を撫でたかったけど、特別な飾りだったからほとんど触ることもしなかった。そうすることすらもったいなくて。とても大事にしたかったのだ。
中学生になると、あの心が浮つくような12月はどこかへ行った
12月26日にクリスマスツリーは片付けられる。飾りを全部外して袋に戻すとき、ブーツうさぎが一番最後だったのは言うまでもない。私の宝箱へ招待したかったけど、クリスマスツリーの仲間たちからひとつ離すのが忍びなくてしなかった。
私が中学生になると、クリスマスツリーを飾らなくなった。
サンタクロースはとっくにいなくなっていたし、そういうクリスマスの神秘的な特別感に目を輝かせる時期を卒業したからだ。
ケーキとチキン、そして欲しい物をひとつ買ってもらえる日。そっと玄関に飾られた母手作りのパッチワークでできたリースを見て、今年のケーキは何味かな、とふと考える。それもすぐに忘れ、日常が続く。あの心が浮つくような12月はどこかへ行ってしまった。
20歳を過ぎて大人になった頃、実家に残されていた自室の片付けをした。東京で就職が決まり、もう実家に戻ることはないだろう、と。
物置にしたいからいらない物を捨ててね、と母に言われた。それでも大学進学と共に一人暮らしをしていたから、結構長いこと私の空間を残してくれていたことになる。
歳を取り過ぎた。ワインを開けながら、感傷に耽るのがちょうどいい
宝箱はまだあった。ブレスレットは無傷。シールはなくなっていた。万華鏡は中身が固まってしまっていて、くるくる変わる美しい世界は記憶の中だけのものとなってしまった。
ブーツうさぎは。久方ぶりに押し入れの奥底から取り出されたそれは、色褪せることなくあの日のまま。小さなベルのささやかな音がした。少し逡巡して、丁寧に元へ戻した。
サンタクロースに心躍らせ、特別な日に喜んだあの純粋で尊い時間をもう一度過ごすことはもう叶わない。歳を取り過ぎてしまった。ならばワインを開けながら、綺麗な記憶を取り出して感傷に耽るくらいがちょうどいい。
次にブーツうさぎを飾るときは、今度は私が大人の立場で、誰かのきらめく瞳を見守っている。それが私の宝物に相応しい未来だ。
だからもうしばらく、実家で眠っていてください。